2018年1月7日日曜日

スターウォーズ 最後のジェダイ

 骨折が治るまで・・・なんて思っていたのだが、その前に上映が終わってしまいそうだったので、無理を押して「スターウォーズ 最後のジェダイ」を観てきた。
 最後のジェダイ=ルーク・スカイウォーカーであり、彼はトリロジーの主人公。当然エピソード4から劇場で観てきている自分にとってはスターウォーズサーガの主人公なので、前作終盤での顔見せから今作には期待を膨らませていた。
 鑑賞前、当然ブルーレイディスクで「フォースの覚醒」を見直して復習済み。なお家で見直した「フォースの覚醒」は劇場初鑑賞に比べると、割と素直に楽しめた。

 期待していたルーク・スカイウォーカーは控えた出番となり、活躍も限定的ではあったが印象に残るシーンが多かった。齢重ねたマーク・ハミルの熱演にルーク・スカイウォーカーの苦悩を垣間見るからか。
 特にヨーダ登場からジェダイの遺物破壊までにいたるやり取りが良かった。ジェダイの規律や過去の大事なものなどにとらわれて、今本当に大事なものを見失ってはいけないという言葉。ルークはレイに対する偉大なマスターにはなれなかったが、それもまたルークらしくて良いのでは。それに前作主人公が出しゃばってしまうと新たな登場人物はどうしても色あせてしまうから。

 今回のエピソードは派手な宇宙戦の後、主人公たちは別々の場所にわかれ、それぞれの活躍を平行に物語っている。レイはルークの隠れる小惑星へ、フィンは暗号解読の出来る人物を探しにカジノ惑星へ、ポーはハイパースペースジャンプのタイミングを計るため艦隊に残る。
 前作がレンの足取りを追って一つのストーリーに絞られていたことに比べ、重層的な物語展開となり見所が増える。これは前6部作でも取り入られていた物語り進行のよくある手法。こちらでもあちらでもハプニングが起こり、また謎が断片的に明かされていくなどストーリーにのめり込ませやすいのだが、一方「ホワイトベースはいい、ガンダムを映せ」的なもうちょっとレイとルークを見せてくれ、みたいな欲求不満が溜まったのも事実。
 特にフィンへの感情移入が出来ないのが原因。どうしても無理矢理ヒーローに仕立てられている感があるんだよね。黒人枠的な。同じような思いは今回の新キャラ(中国系)にも当てはまるのかな。

 細かく見ると揚げ足要素は多い。逃げるフリゲートに追いつけないファーストオーダー艦隊。しかもエピソードの中核を占めてしまい物語はほとんど進展せず、本当にエピソード9で終わるの感。あっさり死んだ最高指導者スヌークとやっぱりそもそもファーストオーダーって何よという所。
 特に気になるのがレイとカイロのやり取り。手の触れ合う交流後のレイは髪も伸ばして女性を強調しているし、アナキンとアミダラによる禁断の愛のような発展はないのだろうけど、結局女性ジェダイが持つ役割がセクシャルになってしまって残念。

 こうした否定要素があれど、鑑賞後良かったなと思えたのは、今作「最後のジェダイ」が過去6部作の予定調和を捨て去ったこと。過去作のオマージュばかりであった「フォースの覚醒」と違って好印象であり「新生スターウォーズ」という新鮮味を感じた。
 具体的には「シスは二人」ルールに則ったスヌークとカイロ・レンの関係をあっさり終わらせたこと。オビ・ワンがアナキンを教え、ヨーダがルークを鍛えたように、ルークはレイを修行せず、またレイは自らルークを見限ったこと。フィンやポーの活躍が物語の解決にならず、影に隠れた指導者たちの苦悩と責任感で窮地を乗り越えることなど。すべてのエピソードが過去作とあえて逆を行った感すらある。
 そして個人的スターウォーズの主人公はやはり「ルーク・スカイウォーカー」であり、そのルークが出てきて最後に活躍したことも今作の好印象の原因か。やはりスターウォーズはヒーローの活躍する「おとぎ話」なのだし。

 劇場で映画を見ても基本的にスタッフロールは見ずに退席するのだが、やはりスターウォーズは鑑賞後の余韻に浸りたくて最後まで見てしまった。亡くなったキャリー・フィッシャーに対する「愛する姫」という賛辞に涙ぐんでしまった。

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