2016年1月25日月曜日

ヨッシーウールワールド

 ヨッシーウールワールドをプレイ中。現在ステージ2の途中まできたところ。


 このゲームは2Dアクションで、第一作にあたるヨッシーアイランドを手本として毛糸で出来た世界となっているのが特徴。毛糸のカービィなど似た作品もあるが、多分ソニーのリトルビックプラネットあたりが着想点になっているのだろう。


 ゲームの雰囲気がほんわり、ほのぼのしていることに加え、障害物やモンスターの攻撃も激しくなく、全体的な難易度は低め。2Dアクションとしては前回ドンキーコングシリーズをプレイしてきただけにその難易度の違いは強く感じる。
 加えてヨッシー自体の能力も高く、ふんばりジャンプやヒップドロップ、卵を投げるなど、快適なプレイを手助けしている。
 肩肘張らないで遊べるという点では良作のソフトで、ゲームの雰囲気と良いファミリー向け低年齢層向けなのだろうが、個人的にはクリアした後の爽快感や充実感がいまいち。


 ストーリーはなんの捻りもなく、カメの魔法使いにさらわれたヨッシーの仲間を助けに行くというもので、まぁこうしたゲームにストーリーも何もないのでよしとする。


 同ソフトは amiibo が同梱されたパックを購入したので、ゲーム内で連携させてみる。するとステージ内にもう一頭のヨッシーが登場。二頭のヨッシーを同時に操ることになる。片方がミスしてももう一方が残っていればゲーム継続なのだが、操作しているヨッシーがステージの端に行っても自動スクロールされず、もう一方を(-)ボタンで呼びつける必要があるなどが手間。
 試しに他の amiibo を読み込んでみた所、ヨッシーシリーズであれば同様にヨッシーが二頭になり、それ以外(スプラトゥーンの amiibo しか試していないが)だとプレイしているヨッシーの色が変わるというものだった。


 一点だけこれは?というもの。ステージに隠された毛糸の束を5つ集めると、色違いのヨッシーが救出できてプレイキャラに加わるのだが、この毛糸束を集めるのが大変。多分攻略サイトなどを見ながらじゃないと集められない。
 数十種類のヨッシーが用意されているらしいが、おそらく普通にプレイするだけでは集められないだろう。やり込み要素だろうが結局使わず仕舞いってことになりそう。
 隠された収集要素としては花のマークなどもあるわけで、こちらの毛糸束についてはもう少し分かりやすい感じで気軽にいろんなヨッシーが使えるようになっていた方が良かったのではと思う。

2016年1月18日月曜日

パンドラの塔 その3

 パンドラの塔、無事クリアー。

 ヒロインであるセレスとの親密度によってエンディングが変わるとのこと。クリア後調べてみたらどうやら一番よいエンディングになったみたい。別段特別なことはしてなかったけれど、こまめに帰って獣化を防いでいたことや、贈り物を色々あげたのが良かったのかな。

 アクションと謎解きに関してはよく出来たゲームでほどよい難易度。主人公が経験値を貯めることでレベルアップし、ステータスが向上するのも難易度調整に役立っている。本来であれば雑魚を無視して最低限の肉を確保しておけばいいのだろうが、いちいち雑魚を相手にしつつ、こまめな帰宅を繰り返すことが逆に主人公の成長、アイテム充実につながるわけで、ようするに急がば回れな感じ。
 ボス戦では初見ではどうやって倒せばいいのか分からないケースが多いが、戦っている間に攻略法が見えてくるというのが良かった。その攻略法も理不尽さはないし、ヒントも落ちている。ワンパターンな倒し方はなく、よく練り込まれている。ダークソウルのように理不尽な敵の耐久力、攻撃力という設定で強さを表現するわけではない点に好感が持てた。

 前回の不安が的中し、12個の主肉を食べてもセレスの呪いは解けず、逆に0号と呼ばれる13番目の主に取り込まれてしまう。それは主肉を食べることによって見せられてきたビジョンの持ち主。500年前に行なわれた主=神を創り出すという実験が失敗したことによって生まれた者。
 最終戦は攻撃するタイミングがなかなかなく手強い相手だったが、受けるダメージが意外と大したことないので持久戦と割り切って少しずつダメージを与えることで倒すことが出来た。
 絶対第二形態あるな、と思ったら案の定。しかしこれはイベントのために用意されただけだったのは長期戦を戦った身には助かった。

 ストーリー、登場人物ともよく練り込まれ、またアクション、謎解き、ボス戦ともほどよい難易度にまとめられたよいアクションゲームでした。

2016年1月8日金曜日

パンドラの塔 その2

 パンドラの塔攻略中。現在七つ目の塔をクリアした所。

 最初はモンスターの肉を嫌々食べていたセレスだったが、今では慣れたもので舌なめずりするくらい。一時監視塔に戻ってすぐに「肉をちょうだい!」なんて言ってきた。ちょっと怖さを感じる。
 この怖さはセレスも感じているようで、グライアイの言うことを信用して肉を食べ続けると本当に呪いが解けるのだろうか?と言ってくる。確かに不安もある。しかし怪物化を抑制することができるのは事実だし、他に手がないこともまた事実。セレスが本物の怪物にならないことだけを祈る。

 主肉を食べることによって見えるビジョン。そこには子供を亡くした夫婦の記憶が。生物を元にして主は作られたと言うが、13番目の主だけは「命令を聞き、使いやすい者」を使ったという。恐らく人間だろう。彼らが主となり、過去の記憶が蘇っているのか?
 また主は50年前だけでなく、500年前にも作られたという。収穫祭を襲った黒い影がそれなのだろうか。

 塔の仕掛けは複雑になり、マップも広くなってきた。一見通行不可能な所を過去に培った経験でくぐり抜けていくのは本当ゼルダの伝説みたい。仕掛けを解いて先へ進めた時のしてやった感は高い。
 カメラワークの関係で見渡したい方向が見れないという欠点があるが、特定された場所で謎を解かねばならないというヒントにもなっており、これは一長一短なのかも。

 主戦含むアクション面はかなり難易度が高くなってきており苦戦続き。炎の塔、緑の塔二つ目などは何度もゲームオーバーになる始末。
 ボスのそれぞれに特徴があり、それに合わせて攻撃をしていかなければならず、また体力が減少すると攻撃頻度が増すのも難易度が高くなっている要因。ゴリ押しが効かないので隙を突いて倒さねばならず、時間制限もあるだけに大変だ。

2016年1月7日木曜日

スターウォーズ フォースの覚醒

 年末年始は忙しく、昨日やっと「スターウォーズ フォースの覚醒」を観に行けた。タイトルにはエピソード7ってつかないのね。21世紀フォックスからディズニーへ版権が移動したことが原因なんだろうな。開始後冒頭ながれるプロローグにはしっかりエピソード7って書かれていたけど。

 スターウォーズは最初の「新たなる希望」からずっと映画館で観ている世代なので、ルーカスが降りた新三部作にはちょっとがっかりもし、心配もしていたけれど、当初は全9部作と吹聴していたわけなのでこれもありか。
 当然のことながら予告、事前情報完全シャットアウトで劇場に駆けつけた。

 見終わって思ったのは、「新たなる希望」の焼き直し?というもの。ネットでの評判も気になったので幾つか見て回ったがやはり同じように思った人も多いみたい。

 ・ドロイドに重要な情報を仕込んで砂漠の惑星に逃がす
 ・それを手に入れた若き主人公が砂漠の惑星を飛び出す
 ・しかし宇宙船は拿捕される
 ・そこから逃げ出すものの、見せしめとして本拠地の惑星が破壊される
 ・デススターを破壊せよ!

 うーん、まったく同じと言っていいかも。

 砂漠や森の上でミレニアムファルコンとTIEファイターが空中戦を繰り広げるあたりはミニチュアを使った昔のSFX的手法では実現できなかったであろうし、CGっぽさ全開だったプリクェルとは違ってリアルな感じだった。
 主人公のヒロイン「レイ」も心の強さと可憐さを併せ持っていて共感できる。アクションもそつなくこなしていたし。女性主人公ってのはどうなの?という感じはあるけれど。
 一方相棒のフィン、適役のカイロレンあたりはちょっとなぁ。BB-8は人気が高いようだが個人的には狙いすぎている感がしてしまってどうも。

 というよりストーリー。「帝国の逆襲」であったダースベイダーがルークの父親だったという謎。これに引っ張られすぎているように思う。別にミステリーと伏線が売りのシリーズだったとは思えないんだよね、スターウォーズ。
 いまでこそ三部作、エピソード1から数えれば六部作という長編になってしまったから、謎めいた部分を作っておかないと次作への興味が削がれるという事情はあるのだろうが、本来スカッと爽快な冒険活劇のスペースオペラ版。あるいは幻想世界で紡がれる子供向けファンタジーのスペース版だったんじゃないの?
 それがいつの間にか「フォースのバランス」とか登場する兵器、悪の枢軸(笑)なんかに主眼を置くようになってしまって分かりやすい楽しさが減ってしまっているように思える。エピソード4なんてかなりの馬鹿映画だけどねぇ。
 それでいて旧作が素晴らしかったのは、田舎で燻る都会を夢見た若者が、ひょんなことから平和で退屈な我が家を飛び出し、大冒険に出掛けるという物語にこそある。
 それこそジュブナイルによくある普遍的ストーリー。子供から大人へ。籠の中から自然へ。川から大海原へ。そこには危険が待ち受けているかも知れないけれど自由こそあれ。そうした成長の物語に惹かれる。
 しかし今作は「謎」に拘泥するあまり主人公レイの人となりはほとんど描かれず、いや敵役であるレンも、相棒フィンもおよそほとんどの登場人物のストーリーは口先だけの説明だけで終始してしまう当たりが良くない。
 エピソード4ではもの悲しいメロディとともに、砂漠に沈む二重太陽を見つめるルークスカイウォーカーがそのテーマを表していたし、アナキン三部作にいたってはエピソード1~3すべてを使ってアナキンを描いたのに比べると、登場人物の掘り下げが弱く感じさせられ、そこがスターウォーズらしさ、一大叙事詩的部分が薄らいだように感じた。
 そうした部分をはしょった分、アクションシーンを多目にし、Xウィング格好良いでしょ?ハンソロがんばってるでしょ?と言わんばかりな展開は個人的にはどうにも納得いかなかった。

 ルーカスがもしエピソード7を作ったらどうなったか?きっとアイデアは枯渇していて書けなかっただろうね。成功者のルーカスが成功したまま終わった人生を振り返っても新しいエピソードにつながらなかったのだろうと思う。だから彼は当初九部作を六部作でよしとしたわけだし。
 スピンオフで描かれた続編小説はどれもルークと女性ジェダイのロマンや、ルークの暗黒落ち。ハンソロとレイアのロマンスの行方や子供がジェダイになるといったもので、一部は「フォースの覚醒」でも取り入れられているようだがどれも一大叙事詩というより外伝的ストーリーぽい。

 ラスト。ハンソロは予想通りカイロレンに殺される。殺される場所が場所だけに、絶対刺されるなと思ったら案の定。デススターの大型新型も過去と同じような攻撃方法で、同じようなタイミングに破壊されるし。予定調和ってやつ?狙ってやったのかな。

 そもそも「ファーストオーダー」ってのがいきなりの出現過ぎて意味不明だし、共和国があるのにレジスタンスがあるってのもよく分からないし、世界の説明もすっ飛ばしすぎだろ。エピソード6で銀河皇帝倒してハッピーエンドになったはずなのに。
 出自を謎にしたいのはわかるが、ファーストオーダー成立の経緯をもう少しきちんとやって欲しかった。ルーカスは銀河帝国設立に三作も掛けたんだよ?(かけ過ぎ)
 エピソード1のように今作はエピソード6から30年後の世界を描写して、新たなる脅威(ファーストオーダー)が結成される経緯を書けば良かったか。ルークの元に託されたカイロレンが何故闇落ちしたのかとか。まぁエピソード1~3をなぞるだけの物語になってしまうから一緒か。
 さすがに本拠地ふっとばしてハッピーエンド。レイアがみんなを表彰して終わりじゃまずかろうと、レイがルークと対面する所までは蛇足のように続くが、確かにこれで次作を観なきゃって気にはなるけれど、スターウォーズじゃなかったらこの終わり方は許されないでしょうね。
 
 振り返って思い直すとひどい映画だったな。新三部作の第一部だし、ルーク、ハンソロ、レイアが出てきたし、アクションシーンも豊富で旧作のオマージュが散りばめられていたから強烈な駄目出しはないでしょうけどね。エピソード2の時のような。
 ただ今回はリブートということで制作陣も冒険できなかっただろうことは想像できる。多くのファンの中にある「これがスターウォーズ」というものを万遍なく拾っていかねばならなかっただろうから。ルーカスが作るエピソード7じゃないから、文句を言われてもこれが正しいのだとは言い切れないだろうし。
 そう考えればやはりエピソード8,9と見終わって新たな三部作が終わってみなければ結論は出せないか。