2017年11月24日金曜日

ブレードランナー2049

 サイバーパンクの巨塔。ブレードランナーの続編「ブレードランナー2049」を観てきた。上映前におさらいとして前作のファイナルカットを見直しておく。
 んで感想としては、長すぎ。それほど面白くない。そんな感じ。

 そもそも前作「ブレードランナー」自体があまり面白い作品ではない。痛快なアクションシーンもないし、主人公は派手な活躍をしないし。いわゆる雰囲気映画というか、近未来SF、サイバーパンク、フィルムノワールの世界を表現した映像美と、レプリカントにまつわる謎がカルト的人気を醸し出していただけで。
 今作も前作を踏襲した雰囲気部分に関しては必要以上に頑張っていて、これを評価する向きもあるようだが、個人的には別にへぇ~以上ではなかった。ブレードランナーの世界観はすでに消費されつくしていたから特筆するべきものでなくなっている。かと言って酸性雨の降るロサンゼルスに雪を降らせたり、郊外の農場や砂漠と放射線のラスベガスを幻想的に描いても、世界観を広げるために付け加えました感が見えてしまい、あまりピンとこなかった。
 レプリカントがレプリカントを追うというプロットも解せず、そもそもデッカード=レプリカント説があまり好きではない(後述する)ので、現在リドリー・スコットがそれを肯定している以上仕方ないのだけど今回の展開が受け入れにくかった。放射線の一番強い場所で何年も潜伏しているデッカードはレプリカントだと言わんばかり。こうした点で個人的に今作があまり面白くないのは確定してしまった。
 またレイチェルが出産したというのも天使降臨譚ぽくて古臭いし、そもそも大量にレプリカントが生産されているのに子供産んだのがレイチェルだけというのも。まあこれは封印されたネクサス7型のみに備わった機能なのかもしれないが。
 本国では興行収入がイマイチだったようで、レプリカント製造している大ボスが存命していたり、デッカードとレイチェルの子供の行く末がまったく描かれていないなどの伏線は回収されることもなかろう。

「デッカード=レプリカント説」が嫌いな理由
 敵を追跡していったら敵は自分自身だった。確かにそのプロットというのは面白いかもしれない。しかしデッカードの身の回りに写真がいっぱいあったり、レプリカントにフルボッコにされても平気な(ピンピンしているわけではないが)デッカード。だからと言ってイコールレプリカント、では面白くない。
 むしろ人間とレプリカントにあまり差異はなく、では両者を分けるものは一体何なのか?という哲学めいた問題提起こそが主題ではないか。仲間に対する愛情や喪失することへの悲しみ、死への恐怖を痛切に感じ取れるレプリカントに対し、上司の命令に服従し、無防備な者や女性を平気で銃撃する冷酷さなどデッカード(=人間)。両者を比べるとレプリカントの方がよっぽど人間的じゃないかなんて思える、というかそのように描かれている。人間とは何ぞや、人間性とは何か?考えれば考えるほど深い。
 しかし「デッカード=レプリカント」にしてしまうと、こうした問題提起が失われてしまうのでイコール説は嫌いだ。

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