2023年8月20日日曜日

2023夏 北九州 ②


 

四日目 長崎~佐世保~平戸~伊万里

 ホテル発。長崎市街を散策する。原爆落下中心地、平和公園はどうしても行っておきたかった。高校の修学旅行で長崎を訪問したはず。しかしこの地へ足を踏み入れた記憶はない。日本人として厳かな雰囲気になる。一発の爆弾とその大きな衝撃を現したかのようなモニュメントは衝撃的で、偶像はそれを忘れないとする意志を感じる。


 稲佐山展望台に上って市街地を見渡し、長崎を後にする。
 今日は国道202号線をひた走る。ながさきサンセットロードという観光路線。

 延々と続く海岸線を海辺や断崖を繰り返して走る伊豆半島のような道。西海市から大島の「北緯33度線展望台」を目指そうと思うが、到達時刻が想定以上に掛かるので断念。距離的には大した訳ではないことを加味すると、岬到着後歩く距離が長いということか。
 針尾にて名前だけ「ハウステンポス」を確認。なんどか倒産したというニュースを見た気もするが。などと思いながら走っていき、佐世保へ到着する。ついに日本の西の果てに辿り着いたなぁと感慨深い。

 ちょうど開場したばかりの海上自衛隊広報センターである「セイルタワー」へ。受付は物々しく、あれはダメこれはダメ、この順で観てねとか煩わしい。物騒だなと思ったが今日が8月15日だからか?
 幕末からの海軍創設から大戦での敗北といった歴史、艦隊模型などが展示された広報館。順路も整備され内容もまとまっているとは思うが、なんか分かり難く感じる。必要な情報がわかりやすく明示されていない感じ。もっとゆっくり見学すれば違う感想になるのか。

 西のアーキペラゴたる九十九島へ。展海峰、観光公園、船越展望所を周り「神崎鼻」着。日本本土最西端の地である。・・・何なんでしょうね、この煮え切らない名称は。そもそもそんな括りを知らなかったが、昨年佐多岬へ行った際初めて耳にした。
 北は稚内、東は根室。これはわかる。本土四端とか言う限定勝負することなく、日本の最北端と最東端なのだから。しかし本土という括りが沖縄諸島を馬鹿にしているというか、そっち系の人が絶対悶着はじめそう。「やっぱり沖縄は日本じゃないのか!差別されているのか!」的な。だったらまだ本州最西端のが納得できる。


 そうは言ってもライダーは端っこを目指すのだが。
 こうしてなんとも言えない気持ちと共に平戸へ。先ほどまでの快晴から若干怪しい雲行き空に。峠道を越え、海沿いに出ると良い天気になる。雨雲レーダーにも映らないような低い雲で、不意のにわか雨は仕方なさそう。

 鹿町町長串山公園を過ぎたあたりで道路わきに鹿の像を発見。それにしてはリアル。「えっ!?」と思って通りすがりによく見ると口のあたりをモグモグしながら、鹿も俺をじっと見つめている。通り過ぎながら嘘だろとばかりにミラーを見ると動いている!本物じゃん。
 急いでスマホを取り出すも振り返った所にはもういなかった。こんな所に鹿がでるんだという驚き。もっとも冷静に地図でみれば山の中か。
 鹿町という名前で鹿を見るという行幸。雉の看板を見掛けたと同時に雉を観た、能登半島での出来事を思い出した。

 1時間ほどで平戸着。平戸大橋を渡る。駐車場から階段を上って平戸城本丸に到着。三方を海に囲まれた平山城。平戸島自体が本土から離れているので防御は万全なんだろうけど、誰がここを攻めるのか。むしろ海城的な立ち位置で港湾からの海運を中心としていたのか。
 調べるとここも島原城同様、国内よりも大陸や東シナを見据えたお城だったようだ。


 平戸城見学後、これまた奇妙な名前の地「本土と繋がった道の最西端」とかいうスポットを目指・・・そうとするが却下。結局先ほどの本土四端問題と同様で、なにをもって最西端というのかという話し。
 また調べてみると狭くて整備されてない崖のような道を辿って行かねばならぬようで、行った先もただの海岸。クチコミによれば行かぬが花のような感じなのでキャンセル。平戸島を半周ほど走るに留め、生月大橋を渡った。生月サンセットウェイへ。
 豪快な岩肌の見える断崖と青い海を沿うように走る道は、確かに夕暮れが映えるだろうなと思った。残念ながらこの季節、夕暮れは19時近いのでそこまで待つことはできない。キャンプツーリングであればねぇと言ったところ。
 平戸島を見学して本日は終了。雨を恐れながら松浦経由で伊万里へ。

 本日の走行距離321.4km。今回のツーリングで最長記録。後から振り返るともうちょい走れたね。


五日目 伊万里~唐津~佐賀~久留米

 今日は「100名城」の三城を周るツーリング。まずは「名護屋城」に向けて出発。
 道中「いろは島」と棚田を見学。先日台風6号が上陸したからか、稲の収穫が終わっており、見栄えが少し残念だった。いろは島展望台はスルーしようと思ったが、通り道で標識を見掛けたのでせっかくだからと立ち寄る。
 「せっかくだから」という言葉は呪われていることが多い。車の往来が少ないのか苔むした急坂とヘアピンの連続でかなり気を使う怖い道。もしCB1300だったらと思うとゾッとする道。こんな時はマジェスティの軽さ、両足べた付きの安心感、さらにエンストの心配もないのは助かる。

 名護屋城に到着。朝鮮出兵の為に築かれた大したことのないお城でしょ、なんて思っていたが、調べれば調べるほど空恐ろしい規模の城。というか軍事都市であったという事実に驚き。


 文禄・慶長の役における本陣という役割。壱岐島~対馬~朝鮮半島への前線基地としての立地だけでなく、その使者を迎えるにあたって日本の荘厳さを表そうとしたのだろう。
 城の縄張りと巨大さだけでなく、廃城後多くの遺構が唐津城へ運ばれたと言われながら、現存する石垣も立派。また城を中心として各大名が陣を張り、さながら軍事都市を形成していたというのが胸アツ。いろいろ妄想が捗る。
 しかし何故朝鮮出兵などしたのか。豊臣政権が揺らいだ原因にしかならなかったのは残念なことだった。所詮豊臣は時代の徒花だったのか。

 名護屋城から唐津市方面へ。唐津城を通過して虹ノ松原へ。松原と言えばこの辺では三保の松原が有名だが、唐津のそれはさらに立派だった。何しろ松林の中を車で抜けることができるほど広い。
 唐津を過ぎて山越えで佐賀へ。次の目的地は佐賀城。


 佐賀城は龍造寺氏の重臣として有名な鍋島直茂を開祖とする肥前佐賀藩の居城。しかし城内の展示物に龍造寺氏や鍋島氏の歴史はあまり置かれておらず、幕末の鍋島直正に関する資料が多かった。肥前の熊は人気があまりないからか?
 明治維新における鍋島家の功績は大きいのだろうが、個人的にはあまりよく知らないし、薩長土佐水戸などに比べていつの間に出て来た感がある。
 またこの時代絶対はやりそうな佐賀の化け猫騒動について一言もないのが残念。他の城だったらマスコットキャラクターに仕立て上げていてもおかしくないのだが。

 佐賀城を後にし、最後の訪問地である吉野ケ里公園へ。ここは弥生時代の集合集落を再現した歴史公園で楽しみながら当時を実体験できる素晴らしい施設だと思う。


 発掘調査の遺構から当時を再現したとされるが、建物が実際に残っていたはずもなく、文字の無かった当時の日本の様子が具体的にわかるはずもなく、割と空想・想像に頼っているなと思える部分も多い。鳥居とその上に鎮座する鳥など。
 建物も何を参考にしてその形状に復元したのか、根拠になるようなものを示してほしいものだが、スタッフに訊ねたところそうした資料はないそうだ。先人の教えや学術的考察によるものなんだろうけど、その根本はやっぱり空想なんだな。

 ここが邪馬台国だと言いたいけど言えないのはあきらかだし、論争になるのは望んでいないのはわかるが、最新学説を反論込みで紹介するのはありなのではないか。もっと突っ込んだセンセーショナルな展示で興味を掻き立てて欲しい。
 そんなことを考えながら吉野ケ里を後にし、宿泊先の久留米へ。
 台風一過で今日も一日中暑かった。本日の走行距離159.3km。

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