2017年1月12日木曜日

有田と週刊プロレス

 昨年からアマゾンプライム会員となった。
 プライム会員と言えば、注文した商品の到着が速くなるなどの特典があるものの、現状で特に不満がなかったのであまりうれしいサービスとは思っていなかったが、最近始めたプライムビデオというサービスを含めれば結構お得なのでは?ということで、入会することとなった。
 定額動画サービスはhuluに入っていたことがあったが、テレビを観る習慣があまりなかったことや、見たい番組があまりなかったことなどもあり、半年ほどで退会してしまった。
 動画専門サービスであるhuluに比べれば遥かに劣るアマゾンプライムビデオなのだが、アマゾン利用における付加価値向上、おまけ的に見れば十分な魅力があった。

 いろいろ動画を見ていく中、「有田と週刊プロレス」なるプライムビデオオリジナル番組があった。これはくりーむしちゅーの有田が過去の週刊プロレスをネタにして当時のプロレスを語るというものなのだが、80-90年代あたりはプロレスをよく見ていたこともあり、懐かしい気分で楽しむことができた。
 しかしふと思ったのが、有田の話している内容って週刊プロレスは元より、別冊宝島などのプロレス本などなどで語られた内容ばかりじゃないか、その受け売りでしかないのにやけに自慢げじゃないか、というもの。受け手が若いお姉ちゃんとプロレスをあまりしらなそうな若手芸人なので猶更。

 人の褌で相撲を取る的なこれはどうなんだろうなぁ、と思いつつふと感じたのが、当時はインターネットなどなくテレビで放送されるプロレス番組以外の情報ネタを仕入れるのは限定された週刊誌、ムックだけでしかなく、自然と、好むと好まざると、そのネタ元は集約されてしまっていたという事実。
 結果有田に限らず自分もそうだし、当時のプロレス話をするおよそ多くの人、つまり当時の記者などの関係者以外は、みな同じネタでしか話すことができなかったということ。となれば当時の記憶も知識もみな同じようなものになって当たり前。自分で考えたと思い込んでいた事実も実は何かの受け売りであり、かつ同様なことを多くの人間が思っていたということ。
 結果、生まれも育ちも違いながら同じような考えを持ってしまうのだ。

 でもこれは悪いこととは言えまい。これが原因で全体主義が蔓延しているのであれば悪しきことだろうが、昔を懐かしんで同じような思いを共有できるというのは善きことだ。
 さらに飛躍して他人の言うことを理解することができないほどの分岐分断化された情報化社会のほうがよっぽど悪しきことに思える。振り返って懐かしんだ時、みなが同じような共通体験をしたと思えるだろうか?

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