世界に話題と狂気を巻き起こした「ジョーカー」の続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観て来た。”フォリ・ア・ドゥ”とはフランス語で「二人狂い」を意味するそうで、妄想を持った人物と親密な関係を持つ健常者が共に過ごすことで、妄想が共有されること。つまり「ハーレイ・クイン」の登場を示唆したものだろう。
虐げられ、声を上げることも許されない弱者がダークヒーローとして祭り上げられるという前作は多くの人々からシンパシーを得、模倣犯や集団的暴力などの背景となったとされるが、個人的には同情も共感も無く、ジョーカーへの思い入れもなかった。
ジョーカーとして覚醒したアーサーのその顛末。あらたなダークヒロイン「ハーレイ・クイン」を相棒にしてどんな狂気や破壊を見せてくれるのか。しがない日々を送る弱者の代弁者としてカタルシスを得たい。続編を待ちわびたファンの期待を裏切るようなストーリーと演出。
アーサーがジョーカーになれるのはミュージカル仕立ての妄想。一瞬の演説こそ”ジョーカー”になれるが、それは「無理」に演じているだけだ。期待と現実のギャップから支持者は離れ、自身も偶像になれないことを悟り、終いには自信の影に殺されることとなる。
前作を愛したファンに「現実を見ろ!」と言わんばかりのお話しは酷評を受けてもしかたなかろうし、前作にシンパシーを得なかった自分のようなものには「まあ、こうなるよね」としか思えず。興行的に大失敗してまで作る作品だったのかは疑問。
ストーリーや演出的にはそんな感想だったが、裁判の評決が出たと同時に爆破オチ。鑑賞しながら思わず「クソ映画!」と声が出てしまった。散々主人公を弄んで結末が「ボカァァン!」て何よ。ここまで見せて来たお話しは何だったのか。「トゥーフェイス」の誕生を目配せしている場合か?退席しようかと思うくらい、覚めてしまった。
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