2025年5月11日日曜日

2chコピペ「サンドラへの忠告」

 へんてこりんな歩荷 @Hente_korin


ゴールデンウィーク中に高速道路に出ようと思っている、年間走行距離がわずか3万キロ未満の週末ドライバーに告ぐ:


アクセル踏めよ。

運転中テレビ見なくていいからアクセル踏めよ。
スマホいじんなくていいからアクセル踏めよ。
おにぎり食わんでいいからアクセル踏めよ。
燃費計なんか見なくていいから速度計見てアクセル踏めよ。

交通の教則に書いてあるとおり制限速度まできっちり踏んでから加速車線の末端で本線に合流しろよ。
本線が止まっていたらちゃんと交通の教則に書いてあるとおり加速車線の末端まで走ってから合流しろよ。
事故多発ポイントの下りカーブで何十キロオーバーとかバカみたいに加速する必要はないから上り坂では制限速度まできっちり踏めよ。
特にプリウスは交通の流れを乱すような車の設計になっているんだから、とにかくアクセル踏めよ。
せめて「速度回復願います」って書いてあるところ位「概ね制限速度」までアクセル踏めよ。

メーター読みで制限速度は制限速度に届いてないからな。
メーター120キロはおそらく110キロにすら届いてないからな。
アクセル踏めよ。
踏めないなら法律に定められた通り左に移れよ。

前の車についていけなくて左の車線があいていたら左へ移れよ。
後ろから車がきたら左へ移れよ。
左へ移るときは斜めに走るのだからまっすぐ走るより距離が伸びる。同じだけ前に進むためにアクセル踏めよ。
教習所で教えられただろ。アクセル踏めよ。

あと、タイヤに空気入れろよ。
高速道路走っている車の過半は空気圧不足だって言うからな。
最新型のプリウスだって空気圧が足りなければ普通にバーストして1車線ふさぐことになるからな。

燃料入れろよ。
燃料切れとかで1車線塞ぐなよ。っていうか、燃料計も見られない奴とか軽自動車に軽油入れちゃう奴はゴールデンウィーク位車はあきらめろ。

それから、事故起こしたくて仕方ないのはわかるんだけど、事故起こすのであれば談合坂の下りとか横浜町田インター付近とかの渋滞ポイントではなくて、猿も通らないような道路までいって1人でこっそりやってくれ。

ゴールデンウィークは平時より走っている車の運転技量が下方向に拡大する時期だから、ゴールデンウィークに車を安全に走らせるのは、平時よりはるかに難しい。
週末ドライバー位の技量では歯がたたないから、そういう人はそもそも運転は諦めたほうがいい。

あと、これだけは言っとくけど、

必要な分はアクセル踏めよ。

2025年5月10日土曜日

ゼノブレイドクロスDE

  Nintendo Switchで発売された「ゼノブレイドクロス ディフィニティブエディション」をクリアした。このソフトはWiiUで発売された「ゼノブレイドクロス」をSwithcに移植。途中で終わってしまったストーリーの続きを楽しむことが出来る。またグラフィックに若干手が加えられ、操作性や遊びやすさの向上が図られている。
 ボリュームたっぷりで遊びごたえのある前作だったが、まるで打ち切りエンドのような終わり方が不満だった。追加DLの予定があったのだろうが、WiiU市場の崩壊でそれもままならず尻切れトンボ。
 今作にてかなり駆け足気味かつ当初ストーリーからの予定変更があったのか伏線を回収しきれなかったものの、一応の結末を見れたのが本当に良かった。もっとも「私たちは新しい故郷ミラで生きていく!」といった展開だったのが、突然の消失現象が発生したためミラを捨て、新天地へ行かねばならなくなるのは強引か。追加した一章だけですべての幕引きをせねばならなかった苦労はわかるが整合性はない。
 ただしサイドクエストの収集ポイントやエネミー捜索でアイコン表示されるなど探しやすくなったり、戦闘時ゲージが溜まっていなくてもクイックリリースで仲間の要請に応えられるようになったりと遊びやすくなったのは良かった。

2025年5月6日火曜日

2023GW 島根 神社メモ

 ゴールデンウィークの島根ツーリングにて神社巡りをしたので、そのメモを記す。内容はWikipedia中心に補足を追記した。個人的なメモなので正しくない記述もありうる。


① 美保神社

    主祭神 
  事代主神【大国主神と神屋楯比売命(宗像三女神の一柱?)の子】
   国譲りを迫られ承諾。別称恵比寿大神。
  三穂津姫命【大物主神(大国主神)の妻、高皇産霊尊の娘】
   国譲りを決めた大国主神が幽界へ隠れた後、高皇産霊尊の指示で娶った
   「もしお前が国津神を妻とするなら、お前は心を許していないのだろう。
   私の娘を妻とし、八十万神を率いて皇孫のために護られよ」

 創建
  不詳

 本殿
  文化10年(1813年)に再建された。大社造の左右二殿連棟。「美保造」といわれる。
  向かって右(別号大御前)に三穂津姫命、左(別号二御前)に事代主大神を祀る。


② 出雲大社

 多くの神社とは異なる伝統がある
 ・参拝作法「二礼、四拍手、一礼」
 ・注連縄の張り方が通常と逆
 ・具体的には綯い始め(太い方)が(神様が向かって)右になる(参拝側から見て左)
 ・本殿内客座五神の第一「天之御中主神」が(向かって)一番左に祀られている
 ・個人的な見解として、出雲を日没の地 = 西が上位であるとすれば理に適う

 主祭神
  大国主大神【須佐之男命の娘である須勢理毘売命が嫡后、多妻】
   国津神の主宰神。多くのエピソードを持つ日本創世神のひとり。

 創建
  神代とされる

 本殿
  大国主大神の御神座は本殿内北東にあり西側を向いている。
  延享元年(1744年)建築。高さ8丈(24m)。かつては16丈(48m)あったとされる。


③ 神魂神社(かもすじんじゃ)

 主祭神
  伊弉冊大神【神世七代の最後に生まれ伊弉諾と夫婦になる】
 ※社名から出雲氏族の一つ神魂命が元の祭神とも考えられる

 配祀神
  伊弉諾大神【伊弉冊の夫】

 創建
  平安時代
 ※出雲国造家が自らの祖神を私的に祀っていたものが起源とされる

 本殿
  社伝は天正11年(1583年)再建。柱古材は正平元年(1346年)の書銘がある
  大社造(女造)。神座の位置と向きが出雲大社と反対になっている。


④ 揖夜神社(いやじんじゃ、いふやじんじゃ)

 主祭神
  伊弉冊命
 ※イザナミを封じたとされる「黄泉比良坂(よもつひらさか)」が付近にある

 配祀神
  大己貴命【大国主】、少彦名命【神産巣日の子】、事代主命【大国主の子】

 創建
  不明(659年:「出雲国風土記」に伊布夜社、「延喜式神明帳」に揖夜神社の記述)

 本殿
  天正11年(1583年)に毛利元秋が再建した記録がある。
  大社造。内部の作りは出雲大社と逆=女造(神魂神社と同じ)

⑤ 熊野大社

 紀伊国の熊野三山との違い
 ・熊野大社(島根)から紀伊国へ勧請されたという説
 ・全くの別系統であるという説
 鑽火祭という神事。出雲大社との深いつながり

 主祭神
  熊野大神櫛御気野命【素戔嗚尊の別名】

 創建
  神代

 本殿
  昭和23年(1948年)造営


⑥ 須我神社

 八岐之大蛇を退治した須佐之男命が当地に来て「気分が清々(すがすが)しくなった」
 よって「須賀」と命名し宮殿を建てたという伝承がある
 ・これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれる
 ・この時に須佐之男命の詠んだ歌が日本初の和歌として「和歌発祥の地」と称す
 ・「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

 主祭神
  須佐之男命、稲田比売命【須佐之男の妻】、八島士奴美神【前二柱の子】
 ※大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰命であったともされる

 配神
  武御名方命【大国主の子、諏訪大社より分霊】


⑦ 須佐神社

 須佐之男命が当地で最後の開拓を行った際、
 「この国は良い国だから、自分の名前は岩木でなく土地につけよう」とし、
 よって「須佐」と命名して自らの御魂を鎮めたとされる

 主祭神
  須佐之男命

 配祀神
  稲田比売命、足摩槌命【稲田比売命の親】、手摩槌命【稲田比売命の親】

 本殿
  文久元年(1861年)建立。方二間(4m)、高さ七間(12m)の大社造。


⑧ 物部神社

 ・祭神の宇摩志麻遅命が鶴に乗って降臨したことから境内に鶴の像がある
 ・神馬像として奉納されている馬のモデルは「パーソロン」

 主祭神
  宇摩志麻遅命【物部氏の祖、饒速日命の子】

 相殿神
  右座 饒速日命、布都霊神【霊剣】
  左座 天之御中主神【神話第一の創造神】、天照皇大神【高天原の主祭神】

 創建
  継体天皇8年(514年)

 本殿
  宝暦3年(1753年)再建、安政3年(1856年)改築
  春日造の変形

2025年5月5日月曜日

2025GW 島根

  今年のゴールデンウィークは島根に行ってきた。ツーリング先候補として、
 ①東北…先日のスイッチ2体験会後そのまま北上
 ②新潟…新潟~酒田、笹川流れがポイント
 ③四国…内陸部を走る、四国カルスト
 ④島根…熊野大社をはじめ神社を周る
と考えた結果、①②は去年と似た感じになってしまうので③④で検討。運良く安宿が見つかった④にて決定。神話の郷「島根」を満喫する旅となった。


一日目 ------------------------------------------------------

 目的地の米子まで8時間、700km近い道程。よくよく考えれば目眩のする距離だ。昼過ぎには着いて蒜山・大山を走りたいと思い、深夜割引の適用されるAM4:00前に東名に乗る。あとはひたすら走り続ける。
 大井松田IC~鮎沢PA(荷物整理)~浜松SA(給油)~鈴鹿PA(トイレ)~土山SA(給油)~社PA(トイレ)~揖保川PA(休憩:眠い)~勝央SA(給油、昼食:レトルト感半端ないジャンボカツカレー。ご飯は超大盛り)~湯原IC(12:20到着、623km)。
 道中は思いの外寒く、トレーナー+もこもこパーカーを着込んで正解だった。
 湯原ICからはR313を通り蒜山の高原ライン~鬼女台展望台。晴天の下、一部雪の残った大山が綺麗。三度目の来訪にて念願の大山一周を敢行する。北側は山麓の方を通って一部は狭い林道となっていた。大雨後は通行止めになるのもわかる。北部にある屏風岩が屹立した船上山が奇観だった。

 大山一周後してまだ午後三時過ぎ。もう少し足を伸ばそうかと考えたが、かなりの距離を走ってきているし休息も必要ということで宿へ。夕食朝食つきで4,500円と格安の宿だったが、駐輪スペースがなかったのは残念。
 初日の走行距離は760.3km。


二日目 ------------------------------------------------------

 本日は西から低気圧が接近。九州地方は大雨。何の偶然か中国地方は今夜通過の予報となっており丁度雨をかわすことが出来る。これも神様の思し召しだろうか。神様の思し召しと言えばツーリング中にタヌキ(ツチグマ?)、キジ、カモメ(超接近)、白鷺の舞に遭遇。吉祥であった。
 出立後、米子空港を経て境港を東へ。美保関に向かう。灯台と美保神社の参拝。
 後、江島大橋を通り松江へ。宍道湖北岸を走って一畑口を北に曲がり島根半島を横断。時間的に厳しいスケジュールとなったが小伊津海岸の洗濯岩(岸の洗濯岩より屹立する屏風岩に驚愕した)、猪目洞窟(深淵へ誘う黄泉の縁。夢に出たら死ぬというエピソード)などの奇観を見物出来て感動。来て良かった。
 島根半島横断に4時間近く掛けて、お昼すぎにようやく日御碕へ。日沈みの宮。
 稲佐の浜を経由し、今回の旅における目的のひとつ出雲大社を再訪。前回訪問時は知識がなくて見どころを良く分かっていなかった。拝殿脇に掛けられた絵馬が風にゆられてカラカラッと音を立てる。幽玄の世界に取り込まれた。歴史博物館がリニューアル中で代わりに宝物館を見学。赤い手箱に「有」と書かれているのは出雲大社の神紋とのこと。
 出雲大社を離れたのが16時過ぎ。今日訪問予定だった神社はあと二つ。さすがに全て周るのは難しく神魂神社だけ参拝した。神域への境界を醸し出す石畳と急な石階段。古の出雲大社復元図では長大なスロープがついているが、実際はこれくらい急だったのではないか。日本最古の大社造りとされる本殿は歴史の趣を感じさせる。

 宿舎到着は19時過ぎ。見どころ満載の一日。走行距離233.4km。


三日目 ------------------------------------------------------

 大雨の通過を待ち9:30に出発。駐輪場がホテルから遠かったのが残念だった。まずは伊邪那岐の神話に出てくる黄泉の国との境である黄泉比良坂へ。安来と松江の中間地点に位置し、国道を少し入っただけの場所ながら、何とも言えない雰囲気。池からはカエルの鳴く声。少し山道を歩いてみたが終焉までは行けなかった。そばの揖夜神社にも立ち寄る。
 次の訪問地は熊野大社。今回の旅の目的。熊野大社と言えば三重の熊野三山が有名だが、名前こそ同じの別物。出雲大社と並んで出雲一宮に叙されるなど格式の高い神社。橋を渡って境内に入るあたりは宇佐神宮を思い出す。思ったより狭い境内だが立派な拝殿には注連縄が掛けられている。
 せっかくここまで来たので、今回の旅を占っておみくじを引けば「大吉」。昨日の吉祥や大雨など、この旅路は出雲の神様から誘われていたのだろう。

 次の訪問地は須我神社。素戔嗚尊が八岐之大蛇を退治した後に建てられたとされる。切り立った丘の上に境内。そのまま山を歩くと本殿があるそうだが、そこまで行く時間は取れず。
 お次はしばらく山道を走る。昨日から「神仏の通ひ路」という看板を見掛け、調べると出雲の神仏霊場を周回するルートとなっていた。偶然と似たようなルートを走っていた為、看板をよく見掛けたようだ。どこも交通量少ないながらしっかり舗装された快速ルートで走りやすい。
 途中お昼をとりつつ、須我神社から1時間少しで須佐神社へ。気持ちよくこちらも素戔嗚尊をお祀りした神社で自らの名前を名付けた本宮という。今年遷宮されるとのこと。道路を挟んで相対すように天照社が屹立し天照大神が祀られているのは珍しい。
 西へ西へ。島根県の中央にそびえる三瓶山を通過。やまなみハイウェイのミニ版といった趣き。次いで物部神社へ。蘇我氏に敗れた物部氏の初代を祀る神社。石見一宮。境内では子供が鬼ごっこしていて微笑ましい。参拝の仕方や神様に失礼など、儀礼にとらわれることの無意味さを感じてしまう。神馬像は何とパーソロン号がモデルとなっていた。
 本日最後の訪問地である石見銀山へ。到着したのは15時過ぎ。世界遺産センターにある展示室を訪問。鉱山町の風景は天空の城ラピュタを思い出す。当時日本の銀が世界の三分の一を占めていたという事実はまさに黄金の国ジパング。

 本日の訪問地はここまで。16時過ぎ石見銀山を後にして本日の宿泊地である益田へ。2時間半100kmの道程をノンストップで走り抜ける。頑張って辿り着いたトイレ・風呂共用の宿はまるで漫画喫茶のような作りで扉は蛇腹カーテン。衝撃。
 本日の走行距離は243.3km。島根の神社8社を巡る旅はお腹いっぱい。


四日目 ------------------------------------------------------

 三年前の正月ツーリング(2022新春)で死ぬ思いをした国道191号をリベンジ。道中あの凍りついた路面を思い出しながら走る。聖湖は垢抜けないダム湖でガッカリ。三段峡はじっくり時間を掛けないと見ることが出来ない感じだったのでスルー。
 安芸太田から国道433号にて三次へ。下調べなしで走った433号はなかなかの酷道で、標高こそ高くないがガードレールのない極細道かつ路肩に用水溝あり。バイクだからいいけど車で迷い込んだらアウトだろ。また走っているとそこここで「神楽」の文字。北広島町には出雲地方で生まれた「石見系神楽」が伝わり、伝統芸能・娯楽として広まったそうだ。
 三次市にて「もののけミュージアム」訪問。あまり期待せずに立ち寄ったが、狭い展示室にぎっしりと資料が展示され興味深かった。企画展示された幻獣展も内容が豪華で見応えがあった。まさか人魚のミイラの現物を見れるとは。地方の展示館も侮れない。姿を絵に描いて貼ると病から逃れられるという話が幾つもある。元は同じ寓話だったのか。
 鬼・鵺・大百足・土蜘蛛退治の物語。稲生物怪録。

 広島県から再び島根へ北上。たたら製鉄を展示している「鉄の歴史村」へ。その中でも当時のたたら場が現存している菅谷たたら山内へ。もののけ姫にも出てきた「たたら製鉄」がどんな風に行われていたのかを体感。歳を重ねても新しく知ることばかり。
 ここから昨日以上に過酷な旅路。津山の宿舎まで3時間半160kmの道程。14:30の出発。夕方から雨の予報が出ているのでノンストップで走り抜けた。ラッキーなことに快速路ばかりで時間短縮。走行中小説について考える。「死に方」「人生」についての様式。金持神社?調べると「鳥取県日野郡日野町金持」という場所という。
 17:30には津山到着。図らずも初日の湯原ICすぐそばまで帰ってきたことになる。
 今日はよく走って走行距離394.2km。


五日目 ------------------------------------------------------ 

 今日は帰るだけ。ゴールデンウィークの中日なので渋滞は心配ないだろうと軽く考えていたが、高槻~大津で20kmを超える渋滞。このボトルネック渋滞は新名神が開通するまで無くならないだろう。

 9:00出発。津山IC~勝央SA(お土産、金太郎終焉の地)~赤松PA(渋滞とルートの確認)~高槻JCTから大津SA前まで大渋滞~土山SA(給油と休憩:長篠設楽原付近で事故渋滞。東名にて躱すか検討していたが、付近へ着く頃に渋滞解消された)~駿河湾沼津SA(給油:給油ランプ点滅して50kmほど走る。給油量10Lなのでまだ余裕だった。最悪なことに大井松田~御殿場間で事故渋滞発生。毎度のことながらイラッとする)~足柄SA(休憩)~17:00足柄SIC
 小山市街を通って渋滞をすり抜けるも246号も大渋滞。途中グーグルナビが示した沼津で降りて箱根を越えるルートの方が断然早かったな。まあ無事帰宅できて何より体中クタクタだわ。
 本日の走行距離588.1km。GW島根ツーリング総走行距離2,219.3km。走ったなー!