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2026年11月5日木曜日

ゴジラ-0.0

  山崎貴監督のゴジラ映画二作目「ゴジラ-0.0」を観て来た。
 前作はアカデミー賞(視覚効果賞)を取るなどの評価を受けた作品だったが、個人的には日本人特有の戦争観に対する嫌悪があり肯定できなかった。アマゾンプライムでいつでも鑑賞できたが、どうも観直す気になれず。ブルーレイディスクを購入しようとも思わなかった。これについては同時期に作られた新しいゴジラたる「シン・ゴジラ」とは異なった。
 再鑑賞した感想も変わることはなく、オーバーな演技とご都合主義。そして被害者意識で先の大戦を振り返るスタンスは受け入れられなかった。

 今回の「ゴジラ-0.0」は前作の完全続編。奇跡的に生き残ったヒロイン大石典子とその要因となったゴジラ細胞をキーに物語は進行する。また今回は敵対怪獣として何とキングギドラが登場。いくつかのオマージュシーンや初の映像表現となった引力光線は見応えがあった。
 いつもの通り事前情報を得ないようにして鑑賞したので、ここまでしっかりとしたキングギドラだったことには驚いたが、その登場自体は予告編の時点で特徴的な甲高い鳴き声で予想されびっくりも半減。完全に隠しておいてくれればよかったのにとは思った。

 広島の原爆投下とそれに続く悲劇的な光景。ニューヨークへゴジラが進行し、熱線で焼ける人々や吹き飛ばされる街の表現など。割と衝撃的な映像が差し込まれるものの、反戦へのメッセージとしてでなく、怨みと制裁への妄想の表現だった。
 前作にアカデミー賞を与えた米国はこの表現をどう受け止めるだろうか。監督の毒気を感じさせた。
 物語は総じて暗い展開で終始。会場には当たり前だが子供連れも多く見かけた。ゴジラが原爆大怪獣ということは彼らにも周知のことであり、これでいいのか。自分たちだって小学生の時期に広島・長崎について学び、「はだしのゲン」や「ピカドン」などで悲惨な現実を視覚的にも目の当たりにしてきた。日本国民として知らねばならぬことであり、これはきっかけ、機会として良いことなのか。

 怪獣映画を見に来たのに、ここまで重く晴れ晴れとしない気持ちにさせられ、鬱々とした気分になるとは。鑑賞中も「なんて暗く救いのない映画なんだろう、これは娯楽作品なのだろうか」と重い気分にさせられた。前作に引き続き積極的にもう一度観ようと思えない理由のひとつにはなる。
 強いて言うと前作同様特撮シーンは素晴らしく、キングギドラとの攻防シーンは良かった。

2026年10月25日日曜日

ディガー +2作

  「ディガー」を観て来た。トム・クルーズ主演なれど珍しく非アクション物。最初の予告では老人がスコップを持って踊るという意味不明だったものが、最近は環境破壊で滅亡しそうな世界を救い出すといった「アルマゲドン」的な感じになっていた。
 物語の展開が読めず楽しみであったが、蓋を開けると幾つかの入れ子構造になった劇中劇となっていて、期待していた物語から少し外れてしまった。

 大外の舞台は環境破壊によって管理社会となった近未来。そこで上映された舞台劇「ディガー」のお話し。舞台劇というメタ展開なしに十分面白そうなストーリーだったので残念というか肩透かし。
 長回しでディガーが大演説をぶち上げる辺りが見所なのだろうが、言っていることは割とよく見かける内容で新鮮味はない。またあくまで舞台の役者が演じているという設定になっているのもまた盛り上がりを損ねている。
 ディガーを演じるカーティスという役者が役とは反対のヒューマニストで、音信不通となった娘の安否を気にし続けるというサイドストーリーに取ってつけた感があり、トム・クルーズが悪役にならないための配慮のように思われてしまった。
 メタ構造にせず、予告編通りの普通のSF映画にすれば、もっと受けが良かっただろうに。これを観に行った観客が肩透かし感から支持をせず、結果悪い評判や口コミが広まって興行収入が落ち込むのはむべなるかな。

(あらすじ)
 石油採掘会社のディガー・ロックウェルは利益を優先して都合の悪いニュースに蓋をした。結果北極の氷に切れ目が発生。流れ出した氷山は欧州へと向かい、大津波による大災害が発生する。
 さらに大きな氷山が発生。今度は北米へと流れだした為、米軍はこれを爆撃。細かく粉砕された氷山が世界各地に押し寄せ甚大な被害と環境破壊を巻き起こした。
 そんな事件を元ネタとする舞台劇が演じられる。



「ゼイ・ウィル・キル・ユー」

 予告編は流れたのに近くの劇場で公開されなかった映画。映画「サプライズ」のように猟奇的殺人鬼に襲われるヒロインが実は戦闘のプロで、逆にサクッと撃退するみたいな展開を予想していたが、そこまでプロではなかった。
 C級アクション映画で何も考えずに観るべき映画なんだろう。殺し方も展開も同じような物語が続いてラストまで行くので盛り上がらない。どこを楽しむのがいいのか。


「スマッシング・マシーン」

 上記映画と同時期に公開されていて、こちらは近くでも上映されていた。時間がなくていかなかったが。格闘興行「プライド」に出場していたマーク・ケアーを主人公にした映画。痛みをこらえるため薬物に染まっていき更生していくという物語。妻とのすれ違い。再起をかけた舞台で敗北してしまう。など、いくつかのストーリーがあるのだがどれも掘り下げが甘く何を言いたいのか良く分からない。
 ケアーの全盛期が描かれないから落ちっぷりも理解できず、だったら最後に勝利したマーク・コールマンとダブル主人公にすれば良かったのにとも思ったり。

2026年10月15日木曜日

バイオハザード

  映画「バイオハザード」を観て来た。
 元々プレイステーションで発売されたゲームを元とする映画で、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演のシリーズ、CG映画のシリーズ、数年前に公開されたリブート作に続く何度目かのリブート作品。
 過去作やゲーム原作とは一新された物語で、ラクーンシティやゾンビが現れるという世界設定、ときおり現れるタイプライターや既視感を誘う演出だけで、オリジナルのホラー映画としても成立しうる作品となっている。
 ゴア演出やショックシーンも多数あれど、コメディタッチで進む展開。上映時間90分強と最近の映画としては短め。主人公視点のみで進んで行くこともあって観やすい。ただし最期の主人公がゾンビ化する展開はちょっとダレてしまった。

 今作は予告で流れた山小屋の扉からあらぬ方向に手足だけが現れるというビジュアルに心を掴まれた。過去観たことのないショックシーンだった。
 本編でも、避難した主人公が遠くを見ると、はるか先から一直線に老婆が走ってくるという恐怖シーンなど、センスのあるホラー表現が光る。 

 製作のザック・クレッガーは最近注目の監督。前作「WEPONS(ウェポンズ)」も評判が良かったのでAmazon Primeで視聴したが、こちらもホラーコメディとして面白かった。元々コメディアン出身ということもあり、こうしたコメディタッチの乗りが作風にあうのだろう。センスの良いホラーシーンなどはサム・ライミに続く逸材感がある。

 なおオリジナル色が強めで、ゲーム原作に出てくるクリスやレオンなどが登場しないことによる賛否があるそうだが、全く的外れな論評である。「ラクーンシティ」という名前の街を舞台にしたゾンビ映画は全てバイオハザードなのか!・・・YES!以外のナニモンでもないでしょ。

(あらすじ)
 配達人のブライアンはラクーンシティ総合病院への緊急配送を頼まれる。報酬につられ雪道を急ぐ彼は道中老婦人を轢いてしまう。警官とのひと悶着がありつつ助けをもとめて山中の一軒家を訪ねるが、感染した犬と老人からの襲撃が待ち受けていた。
 ブライアンは小屋を逃げ出したものの、車で封鎖されたトンネル内で出会った少女から腕を噛まれてしまう。
 執拗に彼を追いかける元老婆と老人。下水道などを使って病院まで逃げ込むも、噛まれた腕からは感染が広がっているようだった。死を悟り彼女への別れのメッセージを録音していたとき、病院内で生き残っていた科学者から最上階まで来れば治療薬を精製できると言われる。
 ブライアンはゾンビの襲撃を逃れ最上階まで到達。治療薬が精製されたものの、ついに感染症状が出てしまう。異形の体へと変化し始め体の自由が効かなくなるブライアン。結局投薬が間に合うことはなかった。

2026年10月8日木曜日

ディスクロージャーデイ

  春先ごろから映画館の予告で流れていたおり、とても楽しみにしていた映画「ディスクロージャーデイ」を観た。監督がスピルバーグということ、宇宙人とのコンタクト物の雰囲気だったので現代版にアップデートされた「未知との遭遇」を期待した。
 結果的には期待が上回り過ぎたことと、予想していた映画内容、テーマとかけ離れていたことでイマイチ乗り切れなかった。
 テレビのキャスターが不可思議な言語をしゃべり始めたり、未確認飛行物体などの映像、牡鹿と少女の交流など、予告編で散りばめられた不思議な映像は、物語の中でたいした感動シーンになれなかった。
 どれも物語からくる必然の内容で、そのセンスオブワンダーは鳴りを潜め、何が起こるか予想できる程度の内容に落ちてしまったからだ。

 「宇宙人はすでに来訪しており機関の一部がこれを隠蔽して情報を独占している」といった80年代あたりの宇宙人感、陰謀論を今の世の中で大真面目にやられても時代錯誤としか受け取れず。令和の時代に「ムー」ですか。
 「コンタクト」や「メッセージ」のように正面切って考察された宇宙人を描かれることはなく、ひと昔前の宇宙人(リトルグレイ)像のまま、その情報を開示するチームと隠し続けようとする機関の追跡劇が展開され、いつの時代の映画だよと言いたくなる。

 そもそもエイリアンの情報を独占している組織が、さして画期的なガジェットを持つでもない欠落感。何故宇宙人のUFOは墜落し続け仲間を救出できず地球人に拉致され続け、それを放置しているのかも不明。未知なる惑星に降り立つのに宇宙服を着ている様子はなく、生物的には目鼻口や容姿が人類とあまり変わらない形状だったり、手を使い二本足で歩行をするのは何故。すべてに合理的な説明がない。
 仮に「ディスクロージャーデイ」が訪れたとして、「で、何?」で終わりそう。劇中で語られていた北朝鮮による核戦争危機の方がやっぱり重大なんじゃないのと突っ込みが入りそう。全世界の人々や戦争の当事者たちがスマホで衝撃的な映像に夢中になる…絵空事にしか見えず説得力がない。

 スピルバーグ特有のざらついた映像の元、良くあるカーチェイス、精神を乗っ取られて攻撃的になるヒロイン(ホラー映画の様)、予定調和なのが分かっているから全くハラハラできない列車シーン(しかも主人公が危機を脱したと同時に、追跡していた車の走ってきた幹線道路が見事に列車から逸れていくというね)、最期の見えない家や消防車にぶつかって派手に転ぶシーンなど「ギャグなの?」と言いたくなる。
 どれもこれも肩透かしな演出でがっかりを助長してくる。俺が見たかった「ディスクロージャーデイ」はこんなもんじゃなかった。

 しまいには秘匿映像どころか生身で保護されていた宇宙人そのもの(!)が現れメッセージを伝えるが、その内容は「!?」という所でスタッフロール。さんざん引っ張っておいて続きは皆さんにお任せします!とかね。適当な落ちが思いつかなかっただけだろ、なんて言いたくなってしまう結末。大失敗映画。

 なお、秘匿グループのボスが満身創痍になりながら超能力を駆使するあたりはバビル二世のヨミみたいだな、と思った。


(あらすじ)

 何かの情報がつまったUSBメモリーを持って逃げるダニエルとこれを追う組織ウォーデックス社。同時期、お天気キャスターからの転身を図るマーガレットは赤い鳥を見たことをきっかけに何かの能力が目覚めた。
 逃げるダニエルが持つUSBメモリーは組織が隠蔽する宇宙人の情報がつまっていた。「これは人類全員が知るべきもので、特定の組織が独占していいものではない」と彼女であるジェーンに話すも彼女は否定的だ。神への信仰を妨げるものだから。
 ウォーデックス社の幹部スキャンロンは精神的にダイブする超能力を駆使しジェーンを支配下に置くと、ついに居場所を特定してダニエルを捕らえた。しかしマーガレットが謎の力でこれを救出。さらなる追跡によって列車に轢かれそうになるも逃げ延びる。
 二人が逃げたのは、宇宙人の情報を公開しようとするグループ。その隠れ家にはマーガレットが昔住んでいた家が再現されていた。彼女が忘れようとしていた少女時代を思い出させるためで、それはかつて宇宙人にアブダクションされたという記憶だった。
 マーガレットたちはテレビ局からメモリー内の宇宙人映像を世界へ発信する。その映像は全米へ世界へと流れていき、不穏だった世界情勢を押しとどめた。最後は匿われていた宇宙人があらわれマーガレットに何かを伝える。その内容は「聞いて…」(おわり!)

2026年9月9日水曜日

バックルームズ

  映画「バックルームズ」を観て来た。
 ただの壁に秘密の扉があり、そこは通路と部屋が延々と続いている。ワンアイディアで生まれた物語に興味をそそられていたが、いざ鑑賞しようと思い冷静になると、「キューブ」や「ソウ」のようにアイディアだけの出オチ的展開が予想され、かなり期待値は下がった。
 実際観て来た映画は予想通り大した内容もなく終始。こうしたアイディアを活かしつつ、面白い映画にする難しさを改めて感じた。
 また鑑賞前にもらったチラシにはネタ元が「SCP財団」であることが明かされ、尚更ストーリーは無意味なものになるだろうなと思わされ、その通りであった。
 唯一面白かったのが、つかまったセラピストが捕縛から逃れるため、いったんは相手に迎合するような嘘を言っていたのが、ついにぶち切れて「そんなの知るか!全部お前のせいだろう!!」と叫ぶシーン。緊迫した場面のはずなのに、思わず笑ってしまった。


(あらすじ)

 家具屋を経営していたクラークは地下室に「秘密の扉」を見つける。その先は延々と通路と部屋が続いていた。セラピーを受けていたメアリーに秘密を打ち明けるも信じてもらえず、助手を連れて調査へ出掛けて失踪する。
  メアリーはクラークを探して家具屋へ。彼が言っていた「秘密の扉」を見つける。そこはクラークのトラウマが具現化されていた。クラークはメアリーを捕縛し、自分に都合の良い結論を出そうとするが、メアリーに真実を告げられて彼女を開放する。
  しかしクラークの分身でもあるフック船長が現れ、クラークを殺すとメアリーにも襲い掛かってくる。船長から逃げるメアリーは防護服に身を固めた者に救出される。
 秘密の扉から続く迷宮は新型MRIを作成する際、偶然できあがった世界であった。

2026年8月28日金曜日

まどか★マギカ ワルプルギスの回天

 まどか★マギカの新作「ワルプルギスの回天」を観に行った。十数年ぶりの新作で初日ということもあり、お昼の上映回だったが割とお客さんの入りは良かった。入場特典は色紙とポストカード。豪華。そこまでしなくても来場は見込めるだろうに。

 前作の衝撃的なエンディングからほむらとまどかによる善と悪の戦い…と思わせつつ、かなり肩透かしの内容だった。
 アクションシーンは盛り沢山だったが、それだけに考えさせられるシーンが少ない。長い間待たせた続編にしては残念な作り。賛否の分かれる前作ラストから十数年の長い月日はファン同士で様々な考察を産まれさせただけに、あっさりとした解答となってしまった感はある。
 前作の結末を受けて、悪魔となったほむらが堕落への誘惑を行うという期待膨らむオープニングは良かった。しかし物語は新キャラ三名の登場と紹介、違和感のある世界への疑問という前作を踏襲した流れに進んでしまい困惑。
 思っていた物語とは違う展開に乗り切れぬまま、最期も結局現状維持どころか元の木阿弥的展開に、ここまで待った割には必要なエピソードだったか?という疑問だけ生まれてしまったのは残念だった。
 特にボロボロになったキュウベェに関する落とし前は全く描かれなかったばかりか、ラストは魔女を復活させる手掛かりを見つけたようなエンディングともあって、物語は進展するどころは元に戻ってしまった感。長い時間待ったファンに対して、その甲斐がなかったと言われても仕方ない出来栄えだった。
 結局、世界のために自己を犠牲としてエゴを捨てるのもやむなしなのか、自分のエゴが大事で世界は二の次とするのか、どちらが正解なのかについて製作側が腹をくくれなかったのが原因なのだろう。


【あらすじ】

  街に広がる噂話。トカゲの電話のお話し。これを見つけた少女は悩みを解決してもらうかわりに魔獣狩りをさせられる。これは悪魔と化したほむらの仕業であった。
 魔法少女以外の狩り手を用意するほむらは、キュウベェに新しい魔法少女の勧誘をしないように言う。しかし街には三人の新しい魔法少女が現れた。
 一人はセルマという小さな少女で渚と仲良くなる。一人は紫丁香、杏子と同郷。一人は何故かほむらとそっくりの容姿で不詳の人物。

 その企みを暴こうとするほむらとさやか。行きつく先は名塚底根(=魔女のライブラリー)だった。まどかの犠牲で魔法少女は魔女にならない=魔女のいない世界となったはずだが、ここは理の外の世界。まどかによる救済が行われる前の少女の絶望から生まれたものの聖地。魔女の世界の者がここを通して現世(魔獣の世界)へと抜け出して来ていた。
 三人はあちらの世界の元魔女。一度は連環の理によって救済されたが、ほむらによって剥ぎ取られたものを取り返しに来たのだ。

 紫丁香は魔法少女の馴れ合いに馴染めず魔女へ戻ってしまう。
 セルマは計略によってまどかを魔女にし、希望から絶望への転移によって生まれるエネルギーをキュウベェへ還元しようとする。
 不詳の少女はまどかと同じく「すべての魔法少女を救う」という祈りで魔法少女になったが、祈りが叶わず最強の魔女「ワルプルギスの夜」になってしまった。

 最期は覚醒したまどかによって全てが救済され、まどかも理へと還っていく。一旦はそれを見送ろうとするほむらだったが、悪魔はまどかを救える唯一の存在と周りから励まされ、再びまどかを奪還を試みも叶わず。まどかは去るも、ほむらは笑顔で終える。

 キュウベェは名塚底根を見出してエンド。

2026年8月16日日曜日

「オークストリートの異変」「スパイダーマン:ブランドニューデイ」

  先日アマゾンプライムにて前々から企画していたスパイダーマン映画シリーズを一気見した(サムライミ三部作とアメージングのぞく)。元々スパイダーマン映画は評判が良く、また最近流行りのマルチバースの先駆けと言われていたので興味深く鑑賞したが、前評判に違わずとても面白かった。特にアニメ版のスパイダーマンが良かった。
 今作「ブランニューデイ」は実写版の前作「ノーウェイホーム」から5年ぶりの新作であり、マルチバースの先駆けでなれど悲しい締めくくりとなった前作をどのように回収するのかが気になり、これまで上映に駆け付けていなかったシリーズなれど、わざわざ足を運んでしまった。
 お盆休みで時間もあったので他にないかと思ったら、JJエイブラムズの恐竜映画「オークストリートの異変」が封切されていたのでついでに鑑賞することにした。

 プログラムの関係で「オークストリートの異変」を先に鑑賞。
 かつてスピルバーグの後継と言われていたエイブラムズ色が存分に発揮された映画だった。不条理なタイムスリップには突っ込みどころ満載。一見ご都合主義的なファミリー映画なれど、主人公を子供目線に落としきれない点や、残酷描写、性描写から一貫性を感じられず。ちょっとちぐはぐな感じ。
 まさかの父親リタイヤだったが、これはラストの逆転劇への伏線。タイムパラドックスを完全無視したご都合主義だがこの映画にはお似合い。まあほんわかとあたたかくなる映画だと思った。
 なお題名がクトゥルフ神話的で良き。出てくる恐竜はことごとく羽化しており、ジュラシックワールドで規定された恐竜像から現代風解釈の恐竜像へとブランニューアップをしようとする思惑は感じた。割にジュラ紀と白亜紀の恐竜が混在するのはどうかねぇ。
 登場人物が前景で演技する影で恐竜がちらりと通り過ぎるような演出はとても良き。

 次いで「スパイダーマン:ブランドニューデイ」。
 シリーズを一気見したので前作の終わりがどうも思い出せず、ファーフロムホームとごっちゃになってしまう。徐々に話を思い出して、ああそういえばピーターは自分の存在の記憶を全て消去してしまったんだなー、というのんびり鑑賞だったが、実はこれが本作の大きなテーマであった(当たり前)。
 意外な人物が敵役となっていたり、最後に逆転劇が行われたりとボリューミィな展開。しかしずっと登場して来たフランクに対して「誰?」と思いながら観ているレベルのライト層なので敵役の素性にもまったく興奮できなかった。んー自分はマーベルシリーズを楽しめる下地がなさすぎるのかも。
 ドクターストレンジによって失われた記憶は蘇ることがなかったのは良かった。ご都合主義で深層心理に隠された思いや記憶が思い出されるというありがちなストーリーに背を向け、私はあなたを愛していないと言い切るMJが良かった。一度「記憶が蘇った」と見せて実は違うとう絶望感もまた良し。


忘れないための私的あらすじ

「オークストリートの異変」

 雷のような光に包まれてタイムスリップしてしまうオークストリート街。恐竜の跋扈する街でのサバイバルとなる。家を補修して引きこもる一家だったが、愛犬を探して息子が家を飛び出してしまう。これを追いかけて探して姉が、姉弟を探すために両親が家の外へ。

 なんとか合流する一家だったがアロサウルスからの逃亡劇で父親が命を落とす。失意の中ポータルを見つけて現代へ戻る一家。戻った時間はタイムスリップする前だったので、父親を電話で呼び出して命を救い(タイムパラドックスはあえて考えないスタンス)大団円。

 思い起こしてもテーマ性は特にないファミリーピクチャー。その割に恐竜の後尾シーンや捕食される人々が描かれたのが不思議。調べると名作「イット・フォローズ」の監督作らしく、役者たちの前景の影で恐竜たちがちらりと映る辺りに共通点を感じた。


「スパイダーマン:ブランドニューデイ」

 仲間を失い仕事に没頭するスパイダーマン。次々と人を代えて憑依する敵(ジーン・グレイ)に翻弄される。さらにクモのホルモンが異常を喫して能力が暴走し始める。

 能力を抑えるための制御チップを作り暴走を抑えるも壊れ、MJがグレイに狙われてしまい危険に巻き込んでしまう。フランクのアジトへ逃げ込む二人。MJの助けもあって制御チップを作り直す。
 ジーンはダメージコントロール局への襲撃を行う。ハルクの横やりが入るものの、フランクの手助けもあってこれを阻止。ジーンに制御チップをつけて局へ引き渡す。

 一件落着。MJを送り届けネッドとも親交を深めるが、やはり記憶が戻ってくることはなかった。しかしMJが憑依された際の違和感から実はダメコン局の長官の嘘を悟り、今回の黒幕が誰だったのかを知ることになる。

 スパイダーマンはジーンが拘束された島に向かい救出を計る。姉の最期を知ったジーンは能力が暴走。衝撃波は周辺の人々をすべて停止させるほど。忍者たちに苦戦するスパイダーマンだったが制御チップを外して逆転、長官への復讐を遂げようとするジーンを止める。
 事情を把握できていないフランクは騒ぎの現況たるジーンを射殺しようと狙撃するが、スパイダーマンが身を挺してこれをかばって倒れた。意識を失う彼に対し、祈りをささげる人々。一命を取り留めたピーターは、フランクの機転で病院から逃げ出した。

 実はすぐにあらすじを思い出せなくなってた。ミスリードをさせたいが為、話がこんがらがってわかりにくい。更にフランクって誰?という感じの自分には登場人物が多くて尚更。
 前作でピーターの記憶がなくなったMJ、ネッドたちとの交遊がメインだったはずだが、ヴィランであるはずのジーンが悲劇的展開をするので、全体として混乱かつ個々のエピソードが薄まった感。

2026年7月8日水曜日

スーパーガール

  映画「スーパーガール」を観て来た。
 スーパーガールとは「青スーツに赤パンツという超絶ダサイスーパーマンの女性版」という認識であった。しかし予告編で観た彼女はジャニス・ジョプリンのような不敵な見た目が素敵で、例のスーツをまとってニヤリと笑う姿は「ダサイスーパーマンとは一味違う」風に見えた。
 評判が悪いという噂を風のうわさに聞きつつも時間があったので映画館へ。予約時自分一人しか座席予約が無く、入場時も誰もいなかったので貸し切りか?と思ったが、その後二人ほど入ってきた。まあ動員的には大失敗だな。

 ストーリーは破綻。設定はお気楽。太陽ひとつで強くも弱くもなるが、それを克服手段は無く陽が沈むのを(日が昇るのを)待つだけというお粗末。誰これ?というマッチョ悪漢的ロボという味方も存在意義が薄く、なんで出て来た感あり。
 そもそも復讐を試みるルーシーを諫めるガールが自堕落に溺れていて説得力ないし、まあ自分のようになっちゃいけねーよ、というそれなんだろうが。

 それでも結構楽しめた。やっぱり格好いいねーちゃんが野郎どもをぶちのめすのはイイ!もし自分が若い女性だったら自己投影してしまうんじゃなかろーか。活躍するのが女性(スーパーガール)なら、手助けするのも女性、救出するのも女性というフェミニン満載の今時ハリウッド映画臭がどうにも鼻につくが、自分としては許容範囲。そうした背景を抜きにしてスーパーガールの活躍だけ観てればOK。そんな映画だった。

(ストーリー)
 ふらりと立ち寄った悪漢に家族を皆殺しにされた農家の娘ルーシー。復讐を果たしてくれる仕事人を探して酒場に向かいスーパーガールと出会う。二人は逃げるための足を探していた悪漢と遭遇。ガールのペット”クリプト”が悪漢の毒矢を受け、解毒剤を処方しなければ三日の命に。こうしてガールはルーシーと共に悪漢追跡の旅に出る。
 恒星間宇宙バスのハイジャックと黄色い太陽のくだり。悪漢が立ち寄る星にて、酒場での乱闘とロボの登場。悪漢を取り逃がし無用な殺人が行われる。
 更なる追跡をするも罠にはめられるガールと捕囚されたルーシー。しかし再び昇った黄色い太陽で回復すると、悪漢一味をぶちのめし、解毒剤の入手とルーシーの復讐がなされる。
 少女との旅で自らを見つめ直したガールはいつまでも自堕落ではいかんと思直し、地球へと帰還する。
 

2026年6月19日金曜日

「スターウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー」 「マイケル」

  SF映画「スターウォーズ」の新作スピンオフ「スターウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー」とキングオブポップとされるマイケル・ジャクソンを題材とした「マイケル」を観に行った。どちらも前々から楽しみだった作品で、公開してすぐに劇場に足を運んだ。

 「スターウォーズ」は動画配信サービスのディズニープラスにて前日譚にあたるシリーズが公開されていた。自分はディズニープラスに加入していないので観たことはなかったが、ファンにはとても好評な作品。
 マンダロリアンというのは本編に出てくる「ボバ・フェット」のような要望をした戦士で、惑星マンダロアをルーツに持つ戦闘種族・集団とのこと。テレビシリーズが3シーズンも続いているので設定や物語がしっかり作られているが、初見で映画を観ても理解できる作りになっていた。

 冒頭の銀河帝国残党を捕まえにいくアクションシーンは、正義のヒーローであるジェダイが主人公だった過去作と比べ、様々な武器を駆使してストームトルーパーを冷酷無比に倒していく所が斬新だった。スターウォーズのどこか時代劇風な剣劇に対して007に出てくるスパイのようなプロフェッショナル感を滲み出していた。
 その後いろんな惑星を飛び回ってストーリーが進み、最後は共和国軍のXウイングが出てきて終了という展開は王道のスターウォーズ的展開だった。

 エンターテインメントに徹した作りで見やすく、それがスターウォーズ感を薄らいでいる感じもしたが、ひとつのお話しとしては良かったのではないか。幼いグローグーもそれほどあざとさを感じさせなかったのも好感。ただし見せ場を作るために毒でやられたマンドーを介護する下りは冗長に感じた。


 「マイケル」は最近流行りの伝記的作品。ビートイット、スリラーなどのヒット作が直撃した世代だったので予告を観た時点で懐かしく楽しみであった。
 マイケル・ジャクソンは悲劇的な最期に加え、整形に関する賛否、少年への性的虐待疑惑など暗い話もあった。ヒーローの醜聞をどのように扱うのか興味深かったが、今作はそれらについて扱わず、父親との確執と独立をテーマとしていた。そのため尻切れトンボ感というか、これで終わりなの?という気がしたが、これは続く続編にて語られるのだろうか。

 伝説のモータウンライブにおける「ビリージーン」や、世界的ヒットとなった「スリラー」のOVなど、オリジナルの完コピが見所。よく再現しなぁと思う反面、少しやり過ぎというか、コピーに何の価値があるのだろうと疑問に思ってもみたり。
 晴れやかできれいな物語的起承転結を求めるあまり、史実にあった事実が隠されている点も残念であった。訴訟の問題などもあって実在人物を扱うお話しの難しい所か。

2026年4月28日火曜日

ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー

  任天堂による映画「ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー」を観て来た。前作に引き続きイルミネーション社による製作でマリオの世界がCGアニメで繰り広げられる。
 今作の舞台は「スーパーマリオギャラクシー」を下敷きとしているが、ロゼッタ姫の活躍はほぼなく、星々を探索するゲーム内容はあくまでエッセンス程度。いろんな世界を冒険する理由付けとしての役割となっている。
 前作同様、評論家からの評価は低いようだが、子供向けのエンターテイメント作品と割り切った作りになっていて楽しい。片意地張らずにポップコーンを片手に鑑賞するのが丁度いいのではないか。


 映画マリオではピーチ姫は元気に活躍する主人公の一人となっているため、代わりとしての役割を担わされたのがロゼッタ姫。幼いころに離れ離れとなった姉妹という設定も加えられた。
 映画冒頭では襲い来るクッパJr.に対して果敢に挑むあたりはロゼッタ姫の見せ場だが、捕らえられて以降はほとんど登場することもなく、ゲームマリオにおけるピーチ姫のような存在で印象は薄い。マリオギャラクシーが舞台となるとなれば、主要登場人物の一人になると思っていたファンには残念だろう。

 ロゼッタ姫を救出すべく、マリオたちが冒険を始めるのだが、今作はピーチ姫とマリオたちが別行動をすることもあって、話があっちこっちへとフラフラする。様々なアクションシーンを見せたいというサービス精神だが、「姫を救出する」という単純なストーリーを無理矢理色付けした結果にも見えた。ここが評論家には否定的に映るのだろうが、マリオファンにとってはあまり気にならず、多様なステージを駆け巡るマリオワールドを再現しているようでむしろ楽しい。
 ファン向けといえばゲストキャラも豊富。大活躍のヨッシーを筆頭に、カエルのようなボス「マムー」を始めとするマリオUSA登場の面々。ミツバチの女王。さらに他ゲームジャンルからピクミン、フォックス・マクラウドが参戦と任天堂ワールド全開。つまらない評論は抜きにしてゲームを楽しむ感覚で観るべきファンムービーの傑作となった。

2026年3月23日月曜日

プロジェクト・ヘイル・メアリー

  Youtubeか何かで見たおすすめSF小説で紹介されていた「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。しかし小説を読むのは億劫でもある。その後映画化されるという話を聞き、これ幸いと上映を楽しみにしていた。
 あらすじとしては、太陽光が減少していくことで地球が寒冷化。数十年で食糧危機が起こり人類は争いから滅亡してしまうと予測された。これを回避するため何光年の彼方へ一か八かの旅に出る(ヘイル・メアリー=アメフト用語)というお話し。
 理論だった展開に、オデッセイやインターステラーのような正統派SFと思って観ていたら、まさかの異性人とのファーストコンタクト物へ。登場するエイリアンのアンチヒューマノイド的な造形、無機生物という設定が良かった。

 謎の物体との遭遇から異星人との邂逅までは良かった。しかし割とあっさりコミュニケーションが取れるようになり、PCを介して普通に会話できてしまうのはちょっと…。
 元々原作は上下巻の長編小説で、詳しく掘り下げられて語られているとのこと。映画という尺の都合上だいぶ端折った展開となったのは仕方ないか。

 クライマックスのタウメーバ回収におけるすったもんだは、結局は成功するんでしょという気持ちになってしまい、ハラハラ感があまりなかった。緊迫感を煽るような見せ方や大袈裟ななBGMにイマイチ乗り切れず。理詰めのSFなんだから過剰なドラマチック展開はいらなかったのでは。
 とは言えロッキーとの別れといったお涙頂戴に感動してしまったのはチョロい。
 すったもんだからの永遠の別れ。これにて終幕と思いきやアクシデント発生からの自己犠牲的精神でロッキーの元へ戻るというラストは冗長に感じてしまった。安易に地球は救われましたという終わりにしたくなかったか。

 エンターテイメント的な演出を入れ込んだ結果、本来の正統派SFから離れてしまうのが残念に感じた。ただし異文化交流、バディムービーというジャンルで肩の力を抜いて楽しむくらいが丁度良さそう。

2026年2月1日日曜日

HELP 復讐島

  サム・ライミ監督の新作「HELP 復讐島」を観て来た。年末年始に映画を見た際、予告で知った作品。敬愛なるサム・ライミ監督作品ということと、上司からのパワハラに苦しむOLが無人島で立場逆転というストーリーが面白そうで期待していた。
 公開初日にちょうど時間が取れたので映画館へ。会員デーということで鑑賞料金の安いコロナシネマワールドは字幕版だけの上映だったため、吹き替え版のあるTOHOシネマズにて鑑賞することにした。
 予約の際、埋まっている席は自分の他に二席だけ。実際には自分ひとりの貸し切り状態。洋画人気のなさが窺い知れる。

 主演女優はお気に入りでもある「恋とニュースの作り方」でヒロインを務めたレイチェル・マクアダムス。サム・ライミ作品では常連のようで「ドクター・ストレンジ」シリーズにも出演しているよう。
 序盤早々で近くを船が通りかかるも助けを求めず、”行ってはいけない”場所を示唆して都合の悪い何かがあるのだろうなと思わせるなど、無人島からの脱出ストーリーではないことが示される。
 生と死を賭けた猪狩りで血を浴びながら歓声を上げるシーンや中盤の嘔吐、ラストの決闘などで監督お得意のスプラッタ表現がさく裂。ダイナミックな構図とカメラパンなども特徴的でサム・ライミワールドを楽しめる。

 最初は嚙み合わなかった関係が嵐で挫折と肉体関係を機に修復され、信頼関係を醸成して島からの脱出、というありきたりな展開になるかと思わるが、懲りずにヒロインを出し抜こうとする社長。当然のように脱出失敗するも、メンヘラ的雰囲気を持つヒロインにお仕置きを受けるという図式はスティーブン・キングの傑作ホラー「ミザリー」を思い出させた。

 過去に旦那を見殺しにし社長を助けに来た婚約者を罠にかけるという悪行を重ねた女主人公が、最後は当然の報いを受けると思いきや、まさかのどんでん返しで幕を閉じる。エンディングにおけるヒロインのカメラ目線が意味深。自らの罪に自覚的なメンヘラで、観客に向かって事実を語れば「お仕置き」するよ!と言っているように見えた。

2026年1月18日日曜日

28年後・・・白骨の神殿

 昨年公開された「28年後…」の続編「白骨の神殿」を観て来た。ちょうど仕事が休みだったので公開初日の鑑賞。予約時は席がひとつも埋まっておらず、初日にしては寂しい限りと思ったが、映画館に行けばそこそこの入りとなっていた。
 三部作で企画された「28年後」の第二部となるが、前作との二部作という感じ。ジミーズに助けられたスパイク少年のその後のストーリーが描かれる。

 ジミーを助けた一風変わった集団「ジミーズ」はヒーローなのかという前作からの問いは、序盤の執拗なサディスティック描写で回答される。元ネタであるジミー・サヴィルが国民的スターが実は犯罪者であったという事実を踏まえているかのよう。
 一方で今作はゾンビ映画の巨匠ジョージ・ロメロが繰り返したゾンビが人間性を取り戻せるかというテーマが語られ、ゾンビ映画としては陳腐な発想なのでイマイチに感じてしまった。感染者のリーダーである狂暴な「サムソン」がケルソン博士によって人間性を取り戻していく展開は何かこれ違うなぁ…という感があったが、これは「ジミーズ」との対比なのだろう。

 映画の最期で描かれる、発症者の集団から逃げるスパイクたちを遠景で描く演出はこの映画独特な手法で、相変わらずセンスがいい。

2025年12月21日日曜日

アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ

  ジェームス・キャメロン監督によるSFシリーズ”アバター”の三作目「アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ」が公開されたので、さっそく観て来た。前作から続くストーリーとなっていて、海の民のもとへ逃げ込んだジェイク・サリー一家に襲い掛かるさらなる試練といった内容。
 圧倒的映像とテンポの良い展開で、長尺197分という上映時間を忘れさせるものの、既視感のあるストーリー展開と落ちは残念。惑星パンドラ年代記としての物語展開はほぼ無く「アバター2下巻」といった感じ。

 今作はスパイダーとキリの物語。マスク無しでパンドラの大気を呼吸できるようになったスパイダーと、エイワから拒絶されていたキリが皆の支えで祈りを通じさせるようになるというもの。兄を失い自らの存在意義に疑問を持っていたロアクの成長と併せて、次作は子供世代が主軸となる展開への橋渡しのようでもあった。
 実際アバターは三部作の予定だったが、前作を製作した際に出来たCGのアセットをそのままにするのは勿体ないということで今作が生まれたなんて話や、第一章となるジェイクの物語はここで終わり、次からが新章であるなんて話も聞く。

 「ファイヤー・アンド・アッシュ」という副題を聞く限り、火山が舞台となるかと思いきやそんなことはなく、敵の頭目ヴァランは火の魔法を使うでわけでもない。結局海の民と鯨の話しが焼き直されるだけという物語になってしまった。
 続編製作の可否は興行成績に左右されるのは仕方ない。制作陣は続編製作できなければ小説として発表するなんてコメントもあり、すでに白旗を振らねばならぬ状況なのか。それもこれも物語として綺麗にまとまっていた第一作をシリーズ化した割に、ストーリーが進まないことへ不満が成績に現れた結果。
 前作の気持ちが晴れない結末と比べれば、ナビィの結集、祈りに応えてエイワなど鑑賞後のすっきり感はあるものの、冒頭で述べた通り「2の下巻」という感じ。お話しとして終息したという点で前作より満足感は高いが・・・という感じ。

 キリの祈りでこちらに振り向くエイワの横顔は人のように感じた。作られた生態系とでもいうのか。まさにナウシカの焼き直し(=パクリ)になってしまうが。それともキリ=シガニーのクローンということで、己を映す鏡ということか?
 自決のように火口へ落ちていったマイルズの最後を描くことはなかったが、これは誰か(ヴァラン?)が助けたという伏線だろう。新しい目を開こうとしているキャラクターをみすみす手放すはずもなし。
 捕まったジェイクを助けに来た海洋博士に対し、救出計画がノープランであることを知ると「ネイティリのようだ」と嘆息するあたりが最高に面白かった。すぐそばでネイティリがノープランの救出作戦を実行しているのがウケる。

2025年11月25日火曜日

プレデター バッドランド

  連休と言うこともあり、スクリームボートを見た後に続けてプレデターシリーズの最新作「プレデター バッドランド」を観て来た。上映してから一か月近く経つ割にそこそこの集客。人気があるのかなと期待された。

 弱肉強食の徹底したプレデター世界で父に復讐し見返すため狩りに出るという話。未開の惑星に降り立ち、上半身だけとなったアンドロイドや小さな獣を仲間にしながら狩りを行う辺りはモンスターハンターなどのゲームを思わせる。昔は映画に追いつけという格好でゲーム映像が進化したが、今や両者は同等というかインタラクティブ性を考えればゲームの方が格上になってしまった感がある。

 成人の儀式や趣味で狩りを行うプレデターというキャラクター性のみを活かしつつ、その根幹はプレデターでなくとも成立するようなお話し。リーダーとは強さだけでなく群れを守れるものであるとの説話を取り入れた分かりやすさ。
 ウェイランド湯谷社やアンドロイド、パワーローダーの登場などAVPオマージュも散りばめられ、ファンに対しても好感度の高めな作品に仕立てられていると思う。

 父親へのリベンジを成功してからのラストで「母親登場!次回作を乞うご期待!!」という振りもなかなか。圧倒的能力のプレデターに対しひ弱な人間が立ち向かうというこれまでの図式を投げ打ち、プレデターを主人公にしてオーソドックスな英雄譚にしたのが上手かった。

スクリームボート

  ホラー映画「スクリームボート」を観て来た。

 パブリックドメインとなったディズニーのミッキーマウス作品「蒸気船ウィリー」を元ネタとしたスプラッター。不条理な殺人鬼が暗躍する「テリファー」のスタッフやキャストが参加しているため、似たような雰囲気がある。

 スカッと殺される場面からねちっこく殺す場面と色々あるがどれも陰惨として乗れず。殺人ネズミのキャラクターを面白がれればいいのだろうが、結局見た目だけミッキーマウスモチーフなだけで中身「アート・ザ・クラウン」なのでパロディのパロディになっている。
 登場人物も華のない役者ぞろいで感情移入できず、まあスプラッターホラーに何を望んでんだと言われればそれまでなのだが。

 結局権利の切れたミッキーマウスをモチーフに何か作りましたというワンアイディアの作品であり、Youtubeか何かで5分程度の映像として成立させるような物語であり、これを長々と一本の映画にしたところで間が持ちませんでした、という感じ。

2025年10月11日土曜日

映画「Pearl 」「MAXXXINE」

  2022年に公開されたホラー映画「X」の続編、「Pearl」と「MAXXXINE」をアマゾンプライムにて鑑賞した。「X」は映画館で鑑賞済み。その際続編である「Pearl」の予告が流れていたが、てっきりセルフパロディと思い込んでいた。

 「X」で殺人を繰り返す鬼婆パールの若かりし頃を語った「Pearl」と、事件に巻き込まれたヒロイン・マキシーンのその後を綴る「MAXXXINE」で三部作を構成。三作を並べると

 ”Pearl” X ”MIXXXINE” (パール vs マキシーン)

という対決映画のような並びになるのが面白い。当時は意味不明に思えた「X」という題名に含みがあったわけだ。

 三部作で主役を演じたミア・ゴスの為の映画とも言え、特に「Pearl」のエンディングにおける顔芸は圧巻。これだけで全てを持って行ってしまうほどの印象を覚える。対して「MAXXXINE」は「X」にて絶えず流されていた新興宗教団体のビデオに対する伏線回収が行われたものの、取ってつけた感が否めず。三部作の最後を締めるストーリーとしては物足りず、外伝的な感があった。

2025年8月30日土曜日

ジュラシックワールド/復活の大地

  ジュラシックパークシリーズの最新作「ジュラシックワールド/復活の大地」を観て来た。ジュラシックパークシリーズとしては7作目、ワールドシリーズとしては4作目になるが、前作までとは一区切りとなり新しいシリーズとして登場。
 もはや恐竜登場になんの感動もないシリーズ。アクションシーンは満載なれどゲーム感覚で演出される淡々とした進行で緊迫感が感じられなかった。とは言え退屈せず観れたのでつまらない訳でもなく、7作目ともなる長寿シリーズの一作だからこんなもんか。

 主演女優が誰か分からず。若くてかわいいお姉ちゃんじゃないし、百戦錬磨の女主人公という立ち位置だし、何故か強調されるおっぱいで誰かなぁと思って観ていたが、スカーレット・ヨハンソンだったのね。
 恐竜は赤道付近の島々で細々と暮らすのみ。一般人の立ち入り禁止ということだが特に警備されているわけでもない。理由こそ新薬開発のためということだが、今回も恐竜のDNA採取が目的とよくある展開。

 モササウルスの件はシリーズでこれまでなかった海の恐怖を描こうとしたのだろうが、恐竜じゃないし姿は見えないしで何か違う。ジョーズを思い出してしまうのは自分だけではないだろう。
 ティラノサウルスとの逃走劇は第一作小説からの引用とのことで、過去作で撮れなかった場面をあえて選択した感がある。水中で襲われるシーンや泳ぐティラノは良かったが、これをやるのであればモササウルスは猶更いらなかった。
 水を飲んでる後ろでこっそりボートを拝借するシーンや、飛び越えられそうな岩の隙間に顔を突っ込むだけで諦めるなど突っ込みどころ満載。狂暴さの中に間抜けが垣間見え、漫画的で楽しい。
 最後のミュータントドンは過去作オマージュ。せっかくの緊迫した場面なれど尺が足りなくて残念。ラスボスD-レックスは先の読める自己犠牲的展開。子供を失った船長と仲間を失っていく女主人公の思い、二人の友情への掘り下げが足りなかった。結果ハイハイ分かりました的なよくある展開に感じてしまう。

 全体の印象として、ストーリーの必然から生まれたシーンがなく、見せ場が先にあってストーリーを作ったように感じてしまった。
 前述の無意味に強調されるおっぱい。三種類の恐竜からDNAを採ってこいというミッション感。まるで流行りのゲームのよう。ファミリー映画なので、迂闊なことをやっても生き残れるヨット家族。ジェンダーや人種の多様性にも配慮していますよと言わんばかりのキャスト。全方位への目配せは良くあるハリウッドのファミリー向け映画。まあ仕方ないか。
 スピンオフのような形でいいので、もう少し作家性を活かした作品を作ってみて欲しい。

 気になったので、帰ってきて自分の前作感想を調べてみたら、かなり酷評してる。あの続編であれば、オーソドックな作りで観れる作品になっているだけ良かったのかも。

2025年7月2日水曜日

28年後⋯

  ホラー映画「28年後⋯」を観てきた。走るゾンビ(感染者)の登場でゾンビ映画界に新風を巻き起こした「28日後⋯」シリーズの第三作目。閉鎖されたイギリス全島。その中の小さな島から始まる物語。
 シリーズ久しぶりの視聴なので復習のために「28日後…」と続編「28週後⋯」を鑑賞。
 「28日後⋯」よくあるゾンビ映画的展開が良い。すなわち平和な閉鎖空間が人間同士のいがみ合いで崩れゾンビの侵入を許して崩壊していく。
 「28週後⋯」はご都合主義的展開が残念。危険な感染者を軽視し過ぎで再発したパンデミックに対して対応が悪い。またあの危険な世界から逃げて来た父親に対して子供が冷た過ぎる。もっと優しくして上げればパンデミックも再燃しなかったろうに。
 さて今回は第一作の制作陣が戻ってくるということで雪辱戦。

 オープニングは第二作を思い出させる展開。閉じこもる屋敷が襲撃を受ける。丘を駆け下って襲い来る感染者を背景に少年が逃げる。ここへ放り込まれたら俺は一時間以内に死ぬなと思わせるような絶望的な世界。イギリス全島は隔離され、孤立した小島とそこで細々と暮らす村人が描かれる。掴みは良し。
 前半は成人の儀式として本土を探索する父と息子。ホラーFPSを思わせるような展開から父と子の確執と物語も良い。母と子による希望の旅は英国本土の美しい光景を垣間見るロードムービーとなっており第一作前半をセルフリメイクしているかのよう。
 ここまで触れてこなかった外部世界からの兵士が登場することで物語が急展開。希望であるはずだった「先生」との出会いは宗教的展開へ。何の映画を見させられているのだ、という戸惑い。
 ラストはギャグ風味でオープニングの伏線回収。なんと「28年後」は三部作として企画されているとのこと。今作の物語はきれいに終わっているが、小島の村人や父親のその後を描くのか、最後に出てきた「ジミーズ」たちの物語になるのか、どちらも興味ふかい。

映画「F1」

  ブラッド・ピット主演の映画「F1」を観てきた。近年大ヒットとなった「マーベリック」のスタッフによる製作ということも話題となっている。
 F1をあまり知らない人にとっては盛り上がるのかも知れないが、90年前後のF1ブームを体感している身としては荒唐無稽な部分が多すぎて、もはやファンタジー映画。乗り切れなかった。

 ブラッド・ピット演じる「ソニー」の駆るF1マシンがデッドヒートの最中、原因不明のクラッシュ。昔F1を観ていた世代には、懐かいキャメルロータスのクラッシュがマーティン・ドネリーの悲劇をモデルにしていると気付く。
 壮絶な事故の後、ドネリーはリハビリの甲斐もなくドライバー生命を絶たれたが、映画のソニーはデイトナ24時間耐久レースに優勝を導くなどカムバック。その勝負強さを買われて、弱小F1チームの代表を務める元同僚ルーベンからF1への復帰を懇願される。
 この出だしから「何これ、さすがに設定に無理があるだろ」と引いてしまう。主演ピットをドライバーとして成立させるために、同年齢のマーティン・ドネリーをモデルとしたのだろうが、現代の複雑怪奇なF1を60歳(劇中では50歳)のロートルが操るのは身体的、体力的にも無理でしょ。ピットの代表作「マネーボール」のように監督やマネージャー側にすることは出来なかったのか。

 F1復帰後の活躍もその手段がことごとくマンガチック。展開をわかりやすくするために予選をカットするのは良いとして、わざとクラッシュして遅延行為をしてみたり、ひとつの空力パーツを改良しただけで優勝争いが出来るほど性能が上がったり等など。F1を知っていれば知っているほど、これは…と引いてしまう。
 映画を盛り上げるための嘘は不可欠だが、さすがに許容範囲がある。ここまで来るとエンターテイメント的な嘘を超え、虚構世界のファンタジーと言い聞かせなければ観てられなかった。

 またロートルなベテランが最初は対立していたルーキーと和解。彼の成功を演出して身を引くというのが名作のよくある展開。この映画もそこへ着地の感動エンド…と思いきや、無茶な設定でピットをドライバーとした以上、栄冠を勝ち取ることまで決められていたんだろう。結局ソニーが優勝してエンド。わかりやすければそれで良しということ。大スター万歳!!という映画だった。