ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月8日水曜日

スーパーガール

  映画「スーパーガール」を観て来た。
 スーパーガールとは「青スーツに赤パンツという超絶ダサイスーパーマンの女性版」という認識であった。しかし予告編で観た彼女はジャニス・ジョプリンのような不敵な見た目が素敵で、例のスーツをまとってニヤリと笑う姿は「ダサイスーパーマンとは一味違う」風に見えた。
 評判が悪いという噂を風のうわさに聞きつつも時間があったので映画館へ。予約時自分一人しか座席予約が無く、入場時も誰もいなかったので貸し切りか?と思ったが、その後二人ほど入ってきた。まあ動員的には大失敗だな。

 ストーリーは破綻。設定はお気楽。太陽ひとつで強くも弱くもなるが、それを克服手段は無く陽が沈むのを(日が昇るのを)待つだけというお粗末。誰これ?というマッチョ悪漢的ロボという味方も存在意義が薄く、なんで出て来た感あり。
 そもそも復讐を試みるルーシーを諫めるガールが自堕落に溺れていて説得力ないし、まあ自分のようになっちゃいけねーよ、というそれなんだろうが。

 それでも結構楽しめた。やっぱり格好いいねーちゃんが野郎どもをぶちのめすのはイイ!もし自分が若い女性だったら自己投影してしまうんじゃなかろーか。活躍するのが女性(スーパーガール)なら、手助けするのも女性、救出するのも女性というフェミニン満載の今時ハリウッド映画臭がどうにも鼻につくが、自分としては許容範囲。そうした背景を抜きにしてスーパーガールの活躍だけ観てればOK。そんな映画だった。

(ストーリー)
 ふらりと立ち寄った悪漢に家族を皆殺しにされた農家の娘ルーシー。復讐を果たしてくれる仕事人を探して酒場に向かいスーパーガールと出会う。二人は逃げるための足を探していた悪漢と遭遇。ガールのペット”クリプト”が悪漢の毒矢を受け、解毒剤を処方しなければ三日の命に。こうしてガールはルーシーと共に悪漢追跡の旅に出る。
 恒星間宇宙バスのハイジャックと黄色い太陽のくだり。悪漢が立ち寄る星にて、酒場での乱闘とロボの登場。悪漢を取り逃がし無用な殺人が行われる。
 更なる追跡をするも罠にはめられるガールと捕囚されたルーシー。しかし再び昇った黄色い太陽で回復すると、悪漢一味をぶちのめし、解毒剤の入手とルーシーの復讐がなされる。
 少女との旅で自らを見つめ直したガールはいつまでも自堕落ではいかんと思直し、地球へと帰還する。
 

2026年6月19日金曜日

「スターウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー」 「マイケル」

  SF映画「スターウォーズ」の新作スピンオフ「スターウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー」とキングオブポップとされるマイケル・ジャクソンを題材とした「マイケル」を観に行った。どちらも前々から楽しみだった作品で、公開してすぐに劇場に足を運んだ。

 「スターウォーズ」は動画配信サービスのディズニープラスにて前日譚にあたるシリーズが公開されていた。自分はディズニープラスに加入していないので観たことはなかったが、ファンにはとても好評な作品。
 マンダロリアンというのは本編に出てくる「ボバ・フェット」のような要望をした戦士で、惑星マンダロアをルーツに持つ戦闘種族・集団とのこと。テレビシリーズが3シーズンも続いているので設定や物語がしっかり作られているが、初見で映画を観ても理解できる作りになっていた。

 冒頭の銀河帝国残党を捕まえにいくアクションシーンは、正義のヒーローであるジェダイが主人公だった過去作と比べ、様々な武器を駆使してストームトルーパーを冷酷無比に倒していく所が斬新だった。スターウォーズのどこか時代劇風な剣劇に対して007に出てくるスパイのようなプロフェッショナル感を滲み出していた。
 その後いろんな惑星を飛び回ってストーリーが進み、最後は共和国軍のXウイングが出てきて終了という展開は王道のスターウォーズ的展開だった。

 エンターテインメントに徹した作りで見やすく、それがスターウォーズ感を薄らいでいる感じもしたが、ひとつのお話しとしては良かったのではないか。幼いグローグーもそれほどあざとさを感じさせなかったのも好感。ただし見せ場を作るために毒でやられたマンドーを介護する下りは冗長に感じた。


 「マイケル」は最近流行りの伝記的作品。ビートイット、スリラーなどのヒット作が直撃した世代だったので予告を観た時点で懐かしく楽しみであった。
 マイケル・ジャクソンは悲劇的な最期に加え、整形に関する賛否、少年への性的虐待疑惑など暗い話もあった。ヒーローの醜聞をどのように扱うのか興味深かったが、今作はそれらについて扱わず、父親との確執と独立をテーマとしていた。そのため尻切れトンボ感というか、これで終わりなの?という気がしたが、これは続く続編にて語られるのだろうか。

 伝説のモータウンライブにおける「ビリージーン」や、世界的ヒットとなった「スリラー」のOVなど、オリジナルの完コピが見所。よく再現しなぁと思う反面、少しやり過ぎというか、コピーに何の価値があるのだろうと疑問に思ってもみたり。
 晴れやかできれいな物語的起承転結を求めるあまり、史実にあった事実が隠されている点も残念であった。訴訟の問題などもあって実在人物を扱うお話しの難しい所か。

2026年4月28日火曜日

ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー

  任天堂による映画「ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー」を観て来た。前作に引き続きイルミネーション社による製作でマリオの世界がCGアニメで繰り広げられる。
 今作の舞台は「スーパーマリオギャラクシー」を下敷きとしているが、ロゼッタ姫の活躍はほぼなく、星々を探索するゲーム内容はあくまでエッセンス程度。いろんな世界を冒険する理由付けとしての役割となっている。
 前作同様、評論家からの評価は低いようだが、子供向けのエンターテイメント作品と割り切った作りになっていて楽しい。片意地張らずにポップコーンを片手に鑑賞するのが丁度いいのではないか。


 映画マリオではピーチ姫は元気に活躍する主人公の一人となっているため、代わりとしての役割を担わされたのがロゼッタ姫。幼いころに離れ離れとなった姉妹という設定も加えられた。
 映画冒頭では襲い来るクッパJr.に対して果敢に挑むあたりはロゼッタ姫の見せ場だが、捕らえられて以降はほとんど登場することもなく、ゲームマリオにおけるピーチ姫のような存在で印象は薄い。マリオギャラクシーが舞台となるとなれば、主要登場人物の一人になると思っていたファンには残念だろう。

 ロゼッタ姫を救出すべく、マリオたちが冒険を始めるのだが、今作はピーチ姫とマリオたちが別行動をすることもあって、話があっちこっちへとフラフラする。様々なアクションシーンを見せたいというサービス精神だが、「姫を救出する」という単純なストーリーを無理矢理色付けした結果にも見えた。ここが評論家には否定的に映るのだろうが、マリオファンにとってはあまり気にならず、多様なステージを駆け巡るマリオワールドを再現しているようでむしろ楽しい。
 ファン向けといえばゲストキャラも豊富。大活躍のヨッシーを筆頭に、カエルのようなボス「マムー」を始めとするマリオUSA登場の面々。ミツバチの女王。さらに他ゲームジャンルからピクミン、フォックス・マクラウドが参戦と任天堂ワールド全開。つまらない評論は抜きにしてゲームを楽しむ感覚で観るべきファンムービーの傑作となった。

2026年3月23日月曜日

プロジェクト・ヘイル・メアリー

  Youtubeか何かで見たおすすめSF小説で紹介されていた「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。しかし小説を読むのは億劫でもある。その後映画化されるという話を聞き、これ幸いと上映を楽しみにしていた。
 あらすじとしては、太陽光が減少していくことで地球が寒冷化。数十年で食糧危機が起こり人類は争いから滅亡してしまうと予測された。これを回避するため何光年の彼方へ一か八かの旅に出る(ヘイル・メアリー=アメフト用語)というお話し。
 理論だった展開に、オデッセイやインターステラーのような正統派SFと思って観ていたら、まさかの異性人とのファーストコンタクト物へ。登場するエイリアンのアンチヒューマノイド的な造形、無機生物という設定が良かった。

 謎の物体との遭遇から異星人との邂逅までは良かった。しかし割とあっさりコミュニケーションが取れるようになり、PCを介して普通に会話できてしまうのはちょっと…。
 元々原作は上下巻の長編小説で、詳しく掘り下げられて語られているとのこと。映画という尺の都合上だいぶ端折った展開となったのは仕方ないか。

 クライマックスのタウメーバ回収におけるすったもんだは、結局は成功するんでしょという気持ちになってしまい、ハラハラ感があまりなかった。緊迫感を煽るような見せ方や大袈裟ななBGMにイマイチ乗り切れず。理詰めのSFなんだから過剰なドラマチック展開はいらなかったのでは。
 とは言えロッキーとの別れといったお涙頂戴に感動してしまったのはチョロい。
 すったもんだからの永遠の別れ。これにて終幕と思いきやアクシデント発生からの自己犠牲的精神でロッキーの元へ戻るというラストは冗長に感じてしまった。安易に地球は救われましたという終わりにしたくなかったか。

 エンターテイメント的な演出を入れ込んだ結果、本来の正統派SFから離れてしまうのが残念に感じた。ただし異文化交流、バディムービーというジャンルで肩の力を抜いて楽しむくらいが丁度良さそう。

2026年2月1日日曜日

HELP 復讐島

  サム・ライミ監督の新作「HELP 復讐島」を観て来た。年末年始に映画を見た際、予告で知った作品。敬愛なるサム・ライミ監督作品ということと、上司からのパワハラに苦しむOLが無人島で立場逆転というストーリーが面白そうで期待していた。
 公開初日にちょうど時間が取れたので映画館へ。会員デーということで鑑賞料金の安いコロナシネマワールドは字幕版だけの上映だったため、吹き替え版のあるTOHOシネマズにて鑑賞することにした。
 予約の際、埋まっている席は自分の他に二席だけ。実際には自分ひとりの貸し切り状態。洋画人気のなさが窺い知れる。

 主演女優はお気に入りでもある「恋とニュースの作り方」でヒロインを務めたレイチェル・マクアダムス。サム・ライミ作品では常連のようで「ドクター・ストレンジ」シリーズにも出演しているよう。
 序盤早々で近くを船が通りかかるも助けを求めず、”行ってはいけない”場所を示唆して都合の悪い何かがあるのだろうなと思わせるなど、無人島からの脱出ストーリーではないことが示される。
 生と死を賭けた猪狩りで血を浴びながら歓声を上げるシーンや中盤の嘔吐、ラストの決闘などで監督お得意のスプラッタ表現がさく裂。ダイナミックな構図とカメラパンなども特徴的でサム・ライミワールドを楽しめる。

 最初は嚙み合わなかった関係が嵐で挫折と肉体関係を機に修復され、信頼関係を醸成して島からの脱出、というありきたりな展開になるかと思わるが、懲りずにヒロインを出し抜こうとする社長。当然のように脱出失敗するも、メンヘラ的雰囲気を持つヒロインにお仕置きを受けるという図式はスティーブン・キングの傑作ホラー「ミザリー」を思い出させた。

 過去に旦那を見殺しにし社長を助けに来た婚約者を罠にかけるという悪行を重ねた女主人公が、最後は当然の報いを受けると思いきや、まさかのどんでん返しで幕を閉じる。エンディングにおけるヒロインのカメラ目線が意味深。自らの罪に自覚的なメンヘラで、観客に向かって事実を語れば「お仕置き」するよ!と言っているように見えた。

2026年1月18日日曜日

28年後・・・白骨の神殿

 昨年公開された「28年後…」の続編「白骨の神殿」を観て来た。ちょうど仕事が休みだったので公開初日の鑑賞。予約時は席がひとつも埋まっておらず、初日にしては寂しい限りと思ったが、映画館に行けばそこそこの入りとなっていた。
 三部作で企画された「28年後」の第二部となるが、前作との二部作という感じ。ジミーズに助けられたスパイク少年のその後のストーリーが描かれる。

 ジミーを助けた一風変わった集団「ジミーズ」はヒーローなのかという前作からの問いは、序盤の執拗なサディスティック描写で回答される。元ネタであるジミー・サヴィルが国民的スターが実は犯罪者であったという事実を踏まえているかのよう。
 一方で今作はゾンビ映画の巨匠ジョージ・ロメロが繰り返したゾンビが人間性を取り戻せるかというテーマが語られ、ゾンビ映画としては陳腐な発想なのでイマイチに感じてしまった。感染者のリーダーである狂暴な「サムソン」がケルソン博士によって人間性を取り戻していく展開は何かこれ違うなぁ…という感があったが、これは「ジミーズ」との対比なのだろう。

 映画の最期で描かれる、発症者の集団から逃げるスパイクたちを遠景で描く演出はこの映画独特な手法で、相変わらずセンスがいい。

2025年12月21日日曜日

アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ

  ジェームス・キャメロン監督によるSFシリーズ”アバター”の三作目「アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ」が公開されたので、さっそく観て来た。前作から続くストーリーとなっていて、海の民のもとへ逃げ込んだジェイク・サリー一家に襲い掛かるさらなる試練といった内容。
 圧倒的映像とテンポの良い展開で、長尺197分という上映時間を忘れさせるものの、既視感のあるストーリー展開と落ちは残念。惑星パンドラ年代記としての物語展開はほぼ無く「アバター2下巻」といった感じ。

 今作はスパイダーとキリの物語。マスク無しでパンドラの大気を呼吸できるようになったスパイダーと、エイワから拒絶されていたキリが皆の支えで祈りを通じさせるようになるというもの。兄を失い自らの存在意義に疑問を持っていたロアクの成長と併せて、次作は子供世代が主軸となる展開への橋渡しのようでもあった。
 実際アバターは三部作の予定だったが、前作を製作した際に出来たCGのアセットをそのままにするのは勿体ないということで今作が生まれたなんて話や、第一章となるジェイクの物語はここで終わり、次からが新章であるなんて話も聞く。

 「ファイヤー・アンド・アッシュ」という副題を聞く限り、火山が舞台となるかと思いきやそんなことはなく、敵の頭目ヴァランは火の魔法を使うでわけでもない。結局海の民と鯨の話しが焼き直されるだけという物語になってしまった。
 続編製作の可否は興行成績に左右されるのは仕方ない。制作陣は続編製作できなければ小説として発表するなんてコメントもあり、すでに白旗を振らねばならぬ状況なのか。それもこれも物語として綺麗にまとまっていた第一作をシリーズ化した割に、ストーリーが進まないことへ不満が成績に現れた結果。
 前作の気持ちが晴れない結末と比べれば、ナビィの結集、祈りに応えてエイワなど鑑賞後のすっきり感はあるものの、冒頭で述べた通り「2の下巻」という感じ。お話しとして終息したという点で前作より満足感は高いが・・・という感じ。

 キリの祈りでこちらに振り向くエイワの横顔は人のように感じた。作られた生態系とでもいうのか。まさにナウシカの焼き直し(=パクリ)になってしまうが。それともキリ=シガニーのクローンということで、己を映す鏡ということか?
 自決のように火口へ落ちていったマイルズの最後を描くことはなかったが、これは誰か(ヴァラン?)が助けたという伏線だろう。新しい目を開こうとしているキャラクターをみすみす手放すはずもなし。
 捕まったジェイクを助けに来た海洋博士に対し、救出計画がノープランであることを知ると「ネイティリのようだ」と嘆息するあたりが最高に面白かった。すぐそばでネイティリがノープランの救出作戦を実行しているのがウケる。

2025年11月25日火曜日

プレデター バッドランド

  連休と言うこともあり、スクリームボートを見た後に続けてプレデターシリーズの最新作「プレデター バッドランド」を観て来た。上映してから一か月近く経つ割にそこそこの集客。人気があるのかなと期待された。

 弱肉強食の徹底したプレデター世界で父に復讐し見返すため狩りに出るという話。未開の惑星に降り立ち、上半身だけとなったアンドロイドや小さな獣を仲間にしながら狩りを行う辺りはモンスターハンターなどのゲームを思わせる。昔は映画に追いつけという格好でゲーム映像が進化したが、今や両者は同等というかインタラクティブ性を考えればゲームの方が格上になってしまった感がある。

 成人の儀式や趣味で狩りを行うプレデターというキャラクター性のみを活かしつつ、その根幹はプレデターでなくとも成立するようなお話し。リーダーとは強さだけでなく群れを守れるものであるとの説話を取り入れた分かりやすさ。
 ウェイランド湯谷社やアンドロイド、パワーローダーの登場などAVPオマージュも散りばめられ、ファンに対しても好感度の高めな作品に仕立てられていると思う。

 父親へのリベンジを成功してからのラストで「母親登場!次回作を乞うご期待!!」という振りもなかなか。圧倒的能力のプレデターに対しひ弱な人間が立ち向かうというこれまでの図式を投げ打ち、プレデターを主人公にしてオーソドックスな英雄譚にしたのが上手かった。

スクリームボート

  ホラー映画「スクリームボート」を観て来た。

 パブリックドメインとなったディズニーのミッキーマウス作品「蒸気船ウィリー」を元ネタとしたスプラッター。不条理な殺人鬼が暗躍する「テリファー」のスタッフやキャストが参加しているため、似たような雰囲気がある。

 スカッと殺される場面からねちっこく殺す場面と色々あるがどれも陰惨として乗れず。殺人ネズミのキャラクターを面白がれればいいのだろうが、結局見た目だけミッキーマウスモチーフなだけで中身「アート・ザ・クラウン」なのでパロディのパロディになっている。
 登場人物も華のない役者ぞろいで感情移入できず、まあスプラッターホラーに何を望んでんだと言われればそれまでなのだが。

 結局権利の切れたミッキーマウスをモチーフに何か作りましたというワンアイディアの作品であり、Youtubeか何かで5分程度の映像として成立させるような物語であり、これを長々と一本の映画にしたところで間が持ちませんでした、という感じ。

2025年10月11日土曜日

映画「Pearl 」「MAXXXINE」

  2022年に公開されたホラー映画「X」の続編、「Pearl」と「MAXXXINE」をアマゾンプライムにて鑑賞した。「X」は映画館で鑑賞済み。その際続編である「Pearl」の予告が流れていたが、てっきりセルフパロディと思い込んでいた。

 「X」で殺人を繰り返す鬼婆パールの若かりし頃を語った「Pearl」と、事件に巻き込まれたヒロイン・マキシーンのその後を綴る「MAXXXINE」で三部作を構成。三作を並べると

 ”Pearl” X ”MIXXXINE” (パール vs マキシーン)

という対決映画のような並びになるのが面白い。当時は意味不明に思えた「X」という題名に含みがあったわけだ。

 三部作で主役を演じたミア・ゴスの為の映画とも言え、特に「Pearl」のエンディングにおける顔芸は圧巻。これだけで全てを持って行ってしまうほどの印象を覚える。対して「MAXXXINE」は「X」にて絶えず流されていた新興宗教団体のビデオに対する伏線回収が行われたものの、取ってつけた感が否めず。三部作の最後を締めるストーリーとしては物足りず、外伝的な感があった。

2025年8月30日土曜日

ジュラシックワールド/復活の大地

  ジュラシックパークシリーズの最新作「ジュラシックワールド/復活の大地」を観て来た。ジュラシックパークシリーズとしては7作目、ワールドシリーズとしては4作目になるが、前作までとは一区切りとなり新しいシリーズとして登場。
 もはや恐竜登場になんの感動もないシリーズ。アクションシーンは満載なれどゲーム感覚で演出される淡々とした進行で緊迫感が感じられなかった。とは言え退屈せず観れたのでつまらない訳でもなく、7作目ともなる長寿シリーズの一作だからこんなもんか。

 主演女優が誰か分からず。若くてかわいいお姉ちゃんじゃないし、百戦錬磨の女主人公という立ち位置だし、何故か強調されるおっぱいで誰かなぁと思って観ていたが、スカーレット・ヨハンソンだったのね。
 恐竜は赤道付近の島々で細々と暮らすのみ。一般人の立ち入り禁止ということだが特に警備されているわけでもない。理由こそ新薬開発のためということだが、今回も恐竜のDNA採取が目的とよくある展開。

 モササウルスの件はシリーズでこれまでなかった海の恐怖を描こうとしたのだろうが、恐竜じゃないし姿は見えないしで何か違う。ジョーズを思い出してしまうのは自分だけではないだろう。
 ティラノサウルスとの逃走劇は第一作小説からの引用とのことで、過去作で撮れなかった場面をあえて選択した感がある。水中で襲われるシーンや泳ぐティラノは良かったが、これをやるのであればモササウルスは猶更いらなかった。
 水を飲んでる後ろでこっそりボートを拝借するシーンや、飛び越えられそうな岩の隙間に顔を突っ込むだけで諦めるなど突っ込みどころ満載。狂暴さの中に間抜けが垣間見え、漫画的で楽しい。
 最後のミュータントドンは過去作オマージュ。せっかくの緊迫した場面なれど尺が足りなくて残念。ラスボスD-レックスは先の読める自己犠牲的展開。子供を失った船長と仲間を失っていく女主人公の思い、二人の友情への掘り下げが足りなかった。結果ハイハイ分かりました的なよくある展開に感じてしまう。

 全体の印象として、ストーリーの必然から生まれたシーンがなく、見せ場が先にあってストーリーを作ったように感じてしまった。
 前述の無意味に強調されるおっぱい。三種類の恐竜からDNAを採ってこいというミッション感。まるで流行りのゲームのよう。ファミリー映画なので、迂闊なことをやっても生き残れるヨット家族。ジェンダーや人種の多様性にも配慮していますよと言わんばかりのキャスト。全方位への目配せは良くあるハリウッドのファミリー向け映画。まあ仕方ないか。
 スピンオフのような形でいいので、もう少し作家性を活かした作品を作ってみて欲しい。

 気になったので、帰ってきて自分の前作感想を調べてみたら、かなり酷評してる。あの続編であれば、オーソドックな作りで観れる作品になっているだけ良かったのかも。

2025年7月2日水曜日

28年後⋯

  ホラー映画「28年後⋯」を観てきた。走るゾンビ(感染者)の登場でゾンビ映画界に新風を巻き起こした「28日後⋯」シリーズの第三作目。閉鎖されたイギリス全島。その中の小さな島から始まる物語。
 シリーズ久しぶりの視聴なので復習のために「28日後…」と続編「28週後⋯」を鑑賞。
 「28日後⋯」よくあるゾンビ映画的展開が良い。すなわち平和な閉鎖空間が人間同士のいがみ合いで崩れゾンビの侵入を許して崩壊していく。
 「28週後⋯」はご都合主義的展開が残念。危険な感染者を軽視し過ぎで再発したパンデミックに対して対応が悪い。またあの危険な世界から逃げて来た父親に対して子供が冷た過ぎる。もっと優しくして上げればパンデミックも再燃しなかったろうに。
 さて今回は第一作の制作陣が戻ってくるということで雪辱戦。

 オープニングは第二作を思い出させる展開。閉じこもる屋敷が襲撃を受ける。丘を駆け下って襲い来る感染者を背景に少年が逃げる。ここへ放り込まれたら俺は一時間以内に死ぬなと思わせるような絶望的な世界。イギリス全島は隔離され、孤立した小島とそこで細々と暮らす村人が描かれる。掴みは良し。
 前半は成人の儀式として本土を探索する父と息子。ホラーFPSを思わせるような展開から父と子の確執と物語も良い。母と子による希望の旅は英国本土の美しい光景を垣間見るロードムービーとなっており第一作前半をセルフリメイクしているかのよう。
 ここまで触れてこなかった外部世界からの兵士が登場することで物語が急展開。希望であるはずだった「先生」との出会いは宗教的展開へ。何の映画を見させられているのだ、という戸惑い。
 ラストはギャグ風味でオープニングの伏線回収。なんと「28年後」は三部作として企画されているとのこと。今作の物語はきれいに終わっているが、小島の村人や父親のその後を描くのか、最後に出てきた「ジミーズ」たちの物語になるのか、どちらも興味ふかい。

映画「F1」

  ブラッド・ピット主演の映画「F1」を観てきた。近年大ヒットとなった「マーベリック」のスタッフによる製作ということも話題となっている。
 F1をあまり知らない人にとっては盛り上がるのかも知れないが、90年前後のF1ブームを体感している身としては荒唐無稽な部分が多すぎて、もはやファンタジー映画。乗り切れなかった。

 ブラッド・ピット演じる「ソニー」の駆るF1マシンがデッドヒートの最中、原因不明のクラッシュ。昔F1を観ていた世代には、懐かいキャメルロータスのクラッシュがマーティン・ドネリーの悲劇をモデルにしていると気付く。
 壮絶な事故の後、ドネリーはリハビリの甲斐もなくドライバー生命を絶たれたが、映画のソニーはデイトナ24時間耐久レースに優勝を導くなどカムバック。その勝負強さを買われて、弱小F1チームの代表を務める元同僚ルーベンからF1への復帰を懇願される。
 この出だしから「何これ、さすがに設定に無理があるだろ」と引いてしまう。主演ピットをドライバーとして成立させるために、同年齢のマーティン・ドネリーをモデルとしたのだろうが、現代の複雑怪奇なF1を60歳(劇中では50歳)のロートルが操るのは身体的、体力的にも無理でしょ。ピットの代表作「マネーボール」のように監督やマネージャー側にすることは出来なかったのか。

 F1復帰後の活躍もその手段がことごとくマンガチック。展開をわかりやすくするために予選をカットするのは良いとして、わざとクラッシュして遅延行為をしてみたり、ひとつの空力パーツを改良しただけで優勝争いが出来るほど性能が上がったり等など。F1を知っていれば知っているほど、これは…と引いてしまう。
 映画を盛り上げるための嘘は不可欠だが、さすがに許容範囲がある。ここまで来るとエンターテイメント的な嘘を超え、虚構世界のファンタジーと言い聞かせなければ観てられなかった。

 またロートルなベテランが最初は対立していたルーキーと和解。彼の成功を演出して身を引くというのが名作のよくある展開。この映画もそこへ着地の感動エンド…と思いきや、無茶な設定でピットをドライバーとした以上、栄冠を勝ち取ることまで決められていたんだろう。結局ソニーが優勝してエンド。わかりやすければそれで良しということ。大スター万歳!!という映画だった。

2025年2月1日土曜日

どうすればよかったか?

  医者と研究者というインテリな両親の元に生まれ、幼いころから聡明に育った娘だったが、苦労して入学した医大へ進学後、統合失調の症状が現れる。姉の異変と両親の対応に疑問を持った弟は映像を学びノンフィクションとして一本の映画にまとめた。
 統合失調症という公に触れにくい病気に対して、肉親だからこそ迫ることのできたドキュメント。20年以上にわたる真実の物語は遣る瀬無い結末を迎える。もしかしてあったかも知れない未来を想像していつの間にか目から涙が流れた。

 この映画の冒頭には「病が発症したの原因の究明や統合失調症を紹介するものではない」といったメッセージが入る。映像を撮ることになったきっかけは、精神病を病んでいる姉の症状を他の医者へ診せるためであった。
 病を発症した姉と両親の対応に疑問を持った監督は逃げ出すように実家を出たが、20年近くたって何も変わらない状況を何とかしようと行動を起こした。ここから更に20年にわたる家族の物語が始まる。

 両親は段々衰え老いていき、姉は狂気を増していく。しかし有効な手段をとることもなく、異常な日常を正しいと言い聞かせるかのように積み重ねられる日々。無断での外出と保護が原因で外への扉には鎖と鍵が掛けられた。姉は外界との接触も無くなり更に内へと閉じこもることとなる。
 母親が認知症の兆候を見せ始めたことを契機とし、発症から40年近くになりついに入院した姉は3か月ほどで見違えるように良くなる。病から寛解した親子の姿はそれまでの陰惨な日々と対比され虚しくもある。
 平和な日々も束の間であった。母親はほどなくして寿命で亡くなり父親は脳溢血を患う。姉にはガンが発見された。彼らの人生とは何だったのか、人は何のために生まれて死んでいくのかという恒久的な問いが突き付けられたように感じた。

 監督はこの映画を「統合失調の対応の失敗例」と言い、病の発症後だんだん深刻な症状をみせる姉を、何故両親は入院措置をとらずに家へ連れ戻したのか?面倒見が良く優秀だった姉の人生がどうして棒に振られねばならなかったのか?と問い掛ける。
 医師という立場の「保身」のため独善に走ったのではないか。何も得ることのなかった姉の人生に対して「ある意味充実した人生だったのではないか」と言い放ち、棺桶に論文を入れた父親への抗議か。共に暮らしながら父を説得することが出来ず、自分にとって都合の良い言い訳をして姉を監禁した母への異議申し立てか。
 そして当事者でありながら傍観者のような立場を装い、長年に渡り映像として記録に残すことしかしなかった監督は正しかったのか。
 いくつもの「どうすればよかったか?」が提示されるが、簡単に答えを出すことが出来ない。立場は違えど自らも日々保身に走り、異常を正常化バイアス掛けして見て見ぬ振りをし、傍観者のように責任逃れをして生きているから。恥ずかしくて正論を振りかざすことが出来ない。

2025年1月29日水曜日

  筒井康隆原作の「敵」を観て来た。
 鑑賞のきっかけは、馬場康夫監督によるYoutubeチャネル「ホイチョイ的映画生活」で取り上げられた為。広告や予告を見た記憶がなく、原作が筒井康隆でなければ観なかったであろう作品。

 原作は断筆宣言から復帰してすぐくらいに発表された記憶があり、老いと生の話しということだったが、当時の自分にはピンとこなかった。むしろ「敵」とされるものが突如あらわれる辺りが、筒井小説によくあるドタバタの仕掛け程度にしか理解していなかった。

 映画ではこの辺りの解釈がうまくされ、理解力の足りない自分でも「敵」とは「老い」であり「人生の末路」であることがわかる。そこには経済的な問題、収まらぬ欲望、過去の栄光とプライドなどが混在して襲い掛かってくる。
 モノクロームで表現されたことで逆に現実感と主人公の孤独が強調され、演ずる長塚京三もフランス文学の元大学教授という役にはまっていた。脇役の元教え子瀧内公美が魅力的だがクラブで出会う女学生河合優実の隠れ巨乳が良き。

 暗喩、メタファー、伏線などをあちこちに張って深読みや想像の楽しさをちりばめている割に、映画オリジナルのエピローグにて主人公の死を明確にしたのは、本編ストーリーはわかりやすくしようとしたのか。
 最後はホラータッチで締めくくられ、ニヤリとさせられたのも良い。彼はいつからあの境遇だったのだろう?

 小説をもう一度読んでみたくなる魅力をもつ作品だった。

2025年1月19日日曜日

機動戦士Gundam GQuuuuuuX

  アニメ映画「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を見て来た。この映画はエヴァンゲリオンで有名な、庵野秀明率いるスタジオカラーによる最新作。

 完全に「ガンプラ世代」なので、その頃の刷り込みからガンダムには詳しいと思い込んでいたが、よくよく考えるときちんと見たのは最初のガンダムだけ。しかもほぼ映画版オンリー。続編のZガンダムも一度は全編を見た記憶があるが、ちゃんとは覚えていないレベル。
 「逆襲のシャア」や「ポケ戦」「0083」は見たが、「G」以降は見たことがなく、人気の「SEED」も冨野監督による「ターンA」なども見ていない。最近流行った「水星の魔女」も全くノータッチ。思い返せば全然ガンオタではないのね。

 そんな自分が今作を観に行ったのは、やはりスタジオカラー作品だからということ。庵野軍団が「ガンダム」をどう料理するのか?には興味が湧いた。
 基本的に前情報を仕入れないようにしていたが、ジオン軍が勝利した世界線とか、主人公の女の子はハマーンではないか、などというコメントは目にしてしまった。
 なお今回映画館で上映されるのは今後テレビ放映されるストーリーの何話かを編集してまとめたもの。結局テレビ放映されなかったが「ガンダムF91」のようなものか。

 映画が始まると最初のガンダムを模した「ジオン独立戦争」のあらましが語られ、サイド7へ三機のザクが進入する場面へと続く。ここで三機の内一機が赤いザク、すなわちシャア専用ということに気付き、原作のガンダムをオマージュとした別の世界線、パラレルワールドの宣言である。
 以後、新米兵ジーンと違い、「赤い彗星」と恐れられたシャアによるサイド7への威力偵察は成功。見事ガンダムとホワイトベースの奪取。一年戦争の ifストーリーを展開しながら、ガルマの軍離脱、ドズルの死とソロモン陥落、アルテイシアとの遭遇、シャアの消失など伏線を張りながらジオン優勢のまま休戦となる。
 ここまでは「シン・○○」で見せて来たカラー作品によくある演出。原作と同じ構図やセリフを引用しながら語られる。最初のガンダムしか知らぬ身にとっては懐かしいし、これはあのシーンか、といった記憶を呼び起こす楽しさはあれど、原作の二次創作だよなぁ。他人の褌で相撲を取る同人的なノリで冒涜的にも感ずる。表立ってやるほどの物かと思うが、これがカラーの芸風であって、劇場まで足を運んだ理由だし。

 やっと始まる本編。人物と背景描写程度で終わってしまう。消えたシャアはどこへ行ってしまったのか、赤いガンダムに乗っている少年は何者なのか、そしてヒロインの少女はハマーンなの?そんな感じで始まる物語。ガンダムである必要は感じられないけど、皆の知った世界で ifストーリーを語ることによる奇想天外、意外性、過去作に登場した有名人物がどのように再登場するのかといったノスタルジィ、期待性などは楽しめそう。
 ネット界隈ではさっそくエヴァのように考察推論が始まった模様。本編だけに留まらず派生して楽しめるというのはカラー作品の面白い所だと思う。

2024年12月28日土曜日

ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い

  年末年始で仕事は休み。家で映画を見ようと思ったが、いつものあれで一つに絞れず、集中もできない。結果、強制的に見るための解決策として、映画館へ行くことにした。
 何を見ようかと探すと、指輪物語からの外伝的エピソードである「ローハンの戦い」が上映されていたので予約。後で知ったが今日がロードショー初日とのこと。21時からのレイトショーなれど十数名のお客さんが入っていたのはその為だったか。

 ローハンが舞台となる戦いということで、指輪物語「二つの塔」での戦いをピックアップしたものと思ったが、指輪戦争より昔を舞台としていた。原作としては「追補編」にあるエピソードを膨らませて作られたそうだ。
 またアニメーションにて制作され、日本人の監督による作品となっている。この分野は今でも日本の影響力が強いんだなぁ。

 物語は男勝りで行動的な末娘「ヘラ」を主人公に進む。ローハン王に恨みを抱いたウルフの謀略によって危機に陥り、籠城戦を余儀なくされる。
 父王と娘の邂逅と別れ。最後は城外で陣営を張っていた部隊が救出に駆け付けるなど既視感のある展開はワザとなのだろうか。

 ストーリーのすべてがヘラによって進められるので話の広がりに乏しく、他の登場人物が間抜けな引き立て役になってしまっている。しかも前述の通り本編でもあった籠城戦と同様の展開なので結末が想像でき、盛り上がりに欠けている。
 指輪物語の特徴である異種族の登場はほぼなく、基本的に人間同士の戦いに終始してしまっているのもスケールを小さくさせている。命令を受けオーガが指輪を集めていることや、名前だけ出てくるガンダルフなど、「ひとつの指輪」への目配せも行われているが、あくまでファンサービス程度。
 アニメーションも凄いと驚愕する演出は特にない。南方傭兵たちの動きがギコチナイのは何かの演出なのか?というくらい。

 舞台背景がしっかりとしていおり、その世界で紡がれたエピソードのひとつとして興味深く鑑賞したが、「ホビット」「指輪物語」のような見所や奥深さは感じられなかった。

2024年10月29日火曜日

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

  世界に話題と狂気を巻き起こした「ジョーカー」の続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観て来た。”フォリ・ア・ドゥ”とはフランス語で「二人狂い」を意味するそうで、妄想を持った人物と親密な関係を持つ健常者が共に過ごすことで、妄想が共有されること。つまり「ハーレイ・クイン」の登場を示唆したものだろう。
 虐げられ、声を上げることも許されない弱者がダークヒーローとして祭り上げられるという前作は多くの人々からシンパシーを得、模倣犯や集団的暴力などの背景となったとされるが、個人的には同情も共感も無く、ジョーカーへの思い入れもなかった。

 ジョーカーとして覚醒したアーサーのその顛末。あらたなダークヒロイン「ハーレイ・クイン」を相棒にしてどんな狂気や破壊を見せてくれるのか。しがない日々を送る弱者の代弁者としてカタルシスを得たい。続編を待ちわびたファンの期待を裏切るようなストーリーと演出。
 アーサーがジョーカーになれるのはミュージカル仕立ての妄想。一瞬の演説こそ”ジョーカー”になれるが、それは「無理」に演じているだけだ。期待と現実のギャップから支持者は離れ、自身も偶像になれないことを悟り、終いには自信の影に殺されることとなる。

 前作を愛したファンに「現実を見ろ!」と言わんばかりのお話しは酷評を受けてもしかたなかろうし、前作にシンパシーを得なかった自分のようなものには「まあ、こうなるよね」としか思えず。興行的に大失敗してまで作る作品だったのかは疑問。

 ストーリーや演出的にはそんな感想だったが、裁判の評決が出たと同時に爆破オチ。鑑賞しながら思わず「クソ映画!」と声が出てしまった。散々主人公を弄んで結末が「ボカァァン!」て何よ。ここまで見せて来たお話しは何だったのか。「トゥーフェイス」の誕生を目配せしている場合か?退席しようかと思うくらい、覚めてしまった。

2024年9月29日日曜日

ビートルジュース ビートルジュース

  ティム・バートンのコメディホラー「ビートルジュース」の続編、「ビートルジュース ビートルジュース」を観に行ってきた。

 ここ最近ある何年振りかのまさかの続編(ゴーストバスターズ、トップガンなど)と似たような展開で、前作のオリジナルメンバーとその子供の愛憎劇という物語。自然とファミリー向けのお話しとなるので営業しやすいためか。続編としては作りやすいのだろうが、ありがちな展開(最初仲たがいしていた親子が仲直りする)に終始するので面白くない。

 序盤から中盤にかけて母娘のスレ違いという展開。ハチャメチャな前作と比べて人間ドラマ中心なのでイマイチと思いつつ見ていたが、ビートルジュースが復活し「あの世」へと舞台が移るあたりから不条理な展開が増えてきて面白くなる。
 最期は新キャラとして登場した敵役「ドロレス」「ジェレミー」をあっさり退場させ、あくまでビートルジュース中心に話が進むのが潔い(つーか、二人のエピソードいらなかったんじゃないの?レベル)。
 終わってみれば面白かったなと満足。本国ではトランスフォーマーを抑え、三週連続全米一位と異例の大ヒットとのこと。

 ただし前作との比較は難しく、あくまで当時を懐かしんで楽しむ続編。前作のハチャメチャ度、家の周りにサンドワーム、歩き出す前衛美術品などなど、何でこんなことを思いつくのだろう?という製作者のぶっとび具合は奇跡。
 今作に理解不能な展開はなく、バナナボートの件やあの世のビジュアルは前作を踏襲しているだけだし、ソウルトレインや出産シーンはストレートで笑えない。

 モニカ・ベルッチ、ウィリアム・デフォー、ダニー・デビートといった往年のベテランキャスト出演は、新進気鋭の若手監督の才能を買ってというわけでもなく意味不明。しかも必然性のある登場理由がない。
 一方前作で一番輝いていたジーナ・デイビスが登場しないのは仕方ないとはいえ残念。歳をとったウィノナ・ライダーの見た目は割と頑張っていたものの、足腰がダメなのか走り回るシーンは痛々しかった。
 代わりに娘役を演じたジェナ・オルテガがかわいかったのと、引き続き母役を演じたキャサリン・オハラの顔芸は素晴らしく衰え知らず。

2024年9月9日月曜日

エイリアン:ロムルス

  エイリアンシリーズの最新作「エイリアン:ロムルス」を観に行った。コロナワールド小田原にて鑑賞。会員権が切れていたので再加入。1200円のサービスチケットがもらえたのでさっそく使用した。
 「エイリアン:”ロムルス”」とは何ぞや?と思ったら、ローマ帝国建国神話に登場する双子の一人で、狼に育てられたという逸話を持つ。壮大なサーガの幕開けか?と思ったが、舞台となる宇宙船の名前だった。

 最近のエイリアンシリーズと言えば、開祖であるリドリー・スコットが「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」という斜め上の展開で観客数が激減。シリーズ滅亡の危機を迎えていた。
 なお調べてみたらエイリアンシリーズ(AVP含む)は米国内での興行が良かったのが「1」「2」くらいで他はトントンか爆死。確かに陰湿な展開とキャラクターなので元来メジャーヒットは難しい作品。
 そんなこともあって今作は何度か聞いた「原点回帰」を標榜。舞台を第一作と二作の間としたことで古来のファンをニヤリとさせるオマージュもたっぷり盛り込んだ。

 開始からなかなかエイリアンが登場しないのは第一作を踏襲したか。やっと現れたフェイスハガーが大群なれど襲い方がヌルく、結局取りつかれたのがポリコレ要員というのも何だかなー。
 その後はルールのあるアクションゲームのような展開。グロ表現は若干あれど、ホラー、ミステリー要素が皆無。閉鎖空間に閉じ込められ、少しづつ追い詰められていくというシリーズ独特の恐怖演出がなかったからか。
 室温を体温に合わせフェイスハガーからステルスするというシーンも、先にフェイスハガーの大群から襲われるというシーンがあったので二番煎じに感じた。
 そんな展開ながら、これはと思えるシーンもあり、「エイリアン=酸の血液」という脅威を「無重力」を利用して解決するのは良かった。特に重力に関して序盤から伏線を張っていたので、ここに持ってきたか!と大いに得心した。
 他、オマージュシーンは幾つもあったが、少しやり過ぎた感。媚びを売り過ぎ。好きな人はいいんでしょうけど、「これをやりたかった」という監督からのメッセージが伝わらなくて残念。

 ラストは第四作のニューボーンエイリアンを思い出させた。せっかく原点回帰したのだからゼノモーフを推すべきだったのでは?何かコレジャナイ感。肝心のゼノモーフも出番は少なめだったから猶更。
 つまらない映画ではなかったけれど及第点。そつがない秀作というか前評判の高さの割に推せる点が少なかった。賛否両論だったが狂気を感じたプロメテウス二部作や、興収的には撃沈だったが自分は好きな「4」に比べると凡作。