2025年7月2日水曜日

映画「F1」

  ブラッド・ピット主演の映画「F1」を観てきた。近年大ヒットとなった「マーベリック」のスタッフによる製作ということも話題となっている。
 F1をあまり知らない人にとっては盛り上がるのかも知れないが、90年前後のF1ブームを体感している身としては荒唐無稽な部分が多すぎて、もはやファンタジー映画。乗り切れなかった。

 ブラッド・ピット演じる「ソニー」の駆るF1マシンがデッドヒートの最中、原因不明のクラッシュ。昔F1を観ていた世代には、懐かいキャメルロータスのクラッシュがマーティン・ドネリーの悲劇をモデルにしていると気付く。
 壮絶な事故の後、ドネリーはリハビリの甲斐もなくドライバー生命を絶たれたが、映画のソニーはデイトナ24時間耐久レースに優勝を導くなどカムバック。その勝負強さを買われて、弱小F1チームの代表を務める元同僚ルーベンからF1への復帰を懇願される。
 この出だしから「何これ、さすがに設定に無理があるだろ」と引いてしまう。主演ピットをドライバーとして成立させるために、同年齢のマーティン・ドネリーをモデルとしたのだろうが、現代の複雑怪奇なF1を60歳(劇中では50歳)のロートルが操るのは身体的、体力的にも無理でしょ。ピットの代表作「マネーボール」のように監督やマネージャー側にすることは出来なかったのか。

 F1復帰後の活躍もその手段がことごとくマンガチック。展開をわかりやすくするために予選をカットするのは良いとして、わざとクラッシュして遅延行為をしてみたり、ひとつの空力パーツを改良しただけで優勝争いが出来るほど性能が上がったり等など。F1を知っていれば知っているほど、これは…と引いてしまう。
 映画を盛り上げるための嘘は不可欠だが、さすがに許容範囲がある。ここまで来るとエンターテイメント的な嘘を超え、虚構世界のファンタジーと言い聞かせなければ観てられなかった。

 またロートルなベテランが最初は対立していたルーキーと和解。彼の成功を演出して身を引くというのが名作のよくある展開。この映画もそこへ着地の感動エンド…と思いきや、無茶な設定でピットをドライバーとした以上、栄冠を勝ち取ることまで決められていたんだろう。結局ソニーが優勝してエンド。わかりやすければそれで良しということ。大スター万歳!!という映画だった。

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