2025年2月1日土曜日

どうすればよかったか?

  医者と研究者というインテリな両親の元に生まれ、幼いころから聡明に育った娘だったが、苦労して入学した医大へ進学後、統合失調の症状が現れる。姉の異変と両親の対応に疑問を持った弟は映像を学びノンフィクションとして一本の映画にまとめた。
 統合失調症という公に触れにくい病気に対して、肉親だからこそ迫ることのできたドキュメント。20年以上にわたる真実の物語は遣る瀬無い結末を迎える。もしかしてあったかも知れない未来を想像していつの間にか目から涙が流れた。

 この映画の冒頭には「病が発症したの原因の究明や統合失調症を紹介するものではない」といったメッセージが入る。映像を撮ることになったきっかけは、精神病を病んでいる姉の症状を他の医者へ診せるためであった。
 病を発症した姉と両親の対応に疑問を持った監督は逃げ出すように実家を出たが、20年近くたって何も変わらない状況を何とかしようと行動を起こした。ここから更に20年にわたる家族の物語が始まる。

 両親は段々衰え老いていき、姉は狂気を増していく。しかし有効な手段をとることもなく、異常な日常を正しいと言い聞かせるかのように積み重ねられる日々。無断での外出と保護が原因で外への扉には鎖と鍵が掛けられた。姉は外界との接触も無くなり更に内へと閉じこもることとなる。
 母親が認知症の兆候を見せ始めたことを契機とし、発症から40年近くになりついに入院した姉は3か月ほどで見違えるように良くなる。病から寛解した親子の姿はそれまでの陰惨な日々と対比され虚しくもある。
 平和な日々も束の間であった。母親はほどなくして寿命で亡くなり父親は脳溢血を患う。姉にはガンが発見された。彼らの人生とは何だったのか、人は何のために生まれて死んでいくのかという恒久的な問いが突き付けられたように感じた。

 監督はこの映画を「統合失調の対応の失敗例」と言い、病の発症後だんだん深刻な症状をみせる姉を、何故両親は入院措置をとらずに家へ連れ戻したのか?面倒見が良く優秀だった姉の人生がどうして棒に振られねばならなかったのか?と問い掛ける。
 医師という立場の「保身」のため独善に走ったのではないか。何も得ることのなかった姉の人生に対して「ある意味充実した人生だったのではないか」と言い放ち、棺桶に論文を入れた父親への抗議か。共に暮らしながら父を説得することが出来ず、自分にとって都合の良い言い訳をして姉を監禁した母への異議申し立てか。
 そして当事者でありながら傍観者のような立場を装い、長年に渡り映像として記録に残すことしかしなかった監督は正しかったのか。
 いくつもの「どうすればよかったか?」が提示されるが、簡単に答えを出すことが出来ない。立場は違えど自らも日々保身に走り、異常を正常化バイアス掛けして見て見ぬ振りをし、傍観者のように責任逃れをして生きているから。恥ずかしくて正論を振りかざすことが出来ない。

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