何度目かの引退宣言を撤回し、齢80歳を超えた御大が作る大作ということで話題となった「君たちはどう生きるか」。今作は上映当日までその内容が一切不明となっており、宣伝を一切しないという宣伝方法で話題となった。
自分は映画を観る際に極力事前情報を入れないようにしている。いわゆる「新鮮な気持ちで鑑賞したい派」なので今回の方策は良しと思い、実質的に今度こそ最終作であろう今作に寄せる期待も高まった。
しかし先日「インディジョーンズ」を観に行ってポスターを観て初めて、ロードショーが7月14日からということを知り驚く。宣伝がないことで話題が一切上がらず、作っていることそれを観に行くことは決めていたものの、いつ公開されるかを気にしていなかった。
宮崎アニメが好きで、映画館で映画を観る習慣のある自分でさえこれなのだから、一般的には猶更公開に気付かないだろう。興行収入にどんな影響があるだろうか。
かくして映画の内容より、その特異な宣伝方法に注目を浴びることとなった作品。「君たちはどう生きるか」というおよそ娯楽作品とは程遠い題名から、どんな作品になるか興味津々であった。
唯一公開されたポスターに描かれた主人公を導く存在であろうアオサギ。無表情な眼の下、くちばしの中にある本当の眼はするどい眼光を放ち、その行動に対し痛烈な批判をするのか?
戦中の日本を舞台に描かれ、宮崎駿の分身となる主人公の人生を描く自伝的作品になるのかと思わせる。こうしてお堅い作品、宮崎版「ほたるの墓」をやるのかと思わせつつ、疎開した先で不気味なアオサギが登場すると物語は一変。不思議な塔に魅せられ異世界へ入り込んでいくというジブリによくある展開。まさかこう来るとは。「千と千尋」のようなファンタジー作品であった。
その題名から説教臭い監督の自伝的作品と思わせつつ、実はこのジブリ展開というのに驚き。その内容も「もののけ」や「トトロ」など、数々のセルフパロディが散りばめられていてる。
他にも作者の思い入れ深いであろう「ゲド戦記」(地下にある石の神、あの世の境界線にある石垣)などがオマージュされ、まさに集大成的作品となっていた。
最初に行くキリコの世界は暗く重い死生観。次のインコ王国では逆に力の抜けた作画で笑わせにくる。しかし万能のお母さんを始め、登場人物がすべて善きものというのは子供染みているか。
狂言回し的役割を持つアオサギが人間化した時、鼻が巨大で気持ち悪いのは何でなのだろうか?何かのシンボル?この辺岡田斗司夫的解釈を聞きたい。
しかし幻想世界の王である大叔父とそれを受け継ぐエピソードなど安易に「これは何々の象徴で」といったこじ付け的解釈は聞きたくないかな。
最期の「争いのある世界で生きていく」という決心は、漫画版ナウシカの結末で辿り着いた宮崎駿からのメッセージ。
幻想的でみな優しい善いものばかりの出てくる理想の世界ではなく、自分の狡さを認め、辛いことばかりある現実だが、それでも現実世界で生きていくと決める。では”君たちはどう生きるか”との問いかけこそが宮崎駿の言いたいことなのだろう。
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